「アイズワイドシャット」

巨匠スタンリー・キューブリック監督の遺作となった「アイズ ワイド シャット(Eyes Wide Shut)」(1999年)。

解決しない、ハッキリとしない謎は残るが、とてもわかりやすいストーリーで腑に落ちる納得した作品だった。

一番最後に、妻アリス役の二コール・キッドマンが、夫ビル役のトム・クルーズに、「私たちは今すぐに何よりもやらなきゃいけない大切なことがあるわ。それはFUCKよ」と話して唐突に終わりだが、2時間近い映画でも、全てがこのセリフに集約されてるように思う。

この映画の試写5日後に急死したキューブリック監督が言いたかったのは、”ごちゃごちゃ言っても、男と女の全ての基本はFUCK(SEX)なのだ!“という、ある意味で人間讃歌じゃないだろうか。

原作は1926年の古い小説「夢物語」。NYの若き開業医ビルと妻のアリスは倦怠期を迎えていたが、友人が開いたクリスマス・パーティに招かれる。
そこでビルは旧友と再会し、アリスはある紳士に誘惑される。
翌日、ビルとアリスはふとしたことから口論になり、夫婦仲に亀裂が入ってしまう。
アリスは、「過去に心を奪われた男がいて、求められたらすべてを捨ててもいいと思った」と告白、ビルは衝撃を受け、アリスと他の男がFUCKしてるところを想像して嫉妬に狂う。
それをきっかけに性の妄想にとり憑かれていく彼は、夜の街を徘徊する。
仮装して怪しい秘密の乱行パーティに参加したり、娼婦を買ったり、友人の女に誘惑されたりするが、どれも浮気は上手くいかない…。

ヌードも、FUCKも、いっぱい出てくるが、確かにどれも夢のようでハッキリとしない。乱行パーティの件も最後まで謎だ。

そこに男女の感情が絡んでくるが、肉体と精神に関する男と女の違いでもあり、理想的な夫婦だけど、それぞれ抱いていた激しい性の妄想でもあって、つまりは“人間というのは善と悪が共存するわけのわからない存在”ということをキューブリック監督は言いたいのではないか。

わけのわからない人間が作るこの社会も、実はわけがわからないということだ。だからビルの行動で起こる周りの出来事も最後までわけのわからないことなのだ。

ラストでビルの一連の浮気願望を聞いたアリスがいう。「私たちは感謝すべきかもしれない」。そして、夢じゃない、ハッキリとしたお互いの肉体を確認するために“FUCKしよう”と呼びかけるのだ。

激しい映画だったなぁ。

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脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。