「続 あさま山荘1972」

さて、続いて「続」巻。

山岳ベースでのリンチ殺人がメインで、著者の体験が微に入り細に入り記してある。一連の連合赤軍事件では、俺が一番、興味深いところであるとともに、もう残酷過ぎて、一番、読むのが辛いところでもあった。

森恒夫、永田洋子が主導して、メンバーのちょっとした発言や仕草、態度、告白などが“反・共産主義化”と問題視され、「総括」を強いられて、殴打、極寒の中での緊縛と正座、そして、アイスピックとロープによる処刑となっていく。

ホラー・スプラッターも真っ青の所業はかなり凄まじい。人間の残酷な攻撃的な面が、孤立化した山の中で、倫理など社会道徳的な歯止めを無くして、全開になった感じだ。

メンバーが、誰もが持つ単なる人間的な嫉妬心や猜疑心、疑心暗鬼を、必死に、無理してイデオロギーに当てはめ納得させて、“共産主義化”に敵対するものとして、強がって殴る蹴るの虐待に加担していく様子がよくわかる。

全メンバーが、“もうこんなことはやめたい”と内心思ってるのだが、それを言い出せば、自分も殺される側に回るとの恐怖心が支配している。リーダーの森や永田でさえも。

現実的ではない「総括」「共産主義化」「銃による殲滅戦」というイデオロギーだけが独り歩きしてるのだ。

森自身は自分の狂気の正体を、“人間に対する蔑視”ではないかと分析している。人間は革命の単なる手段と考えて、その能力だけで判断してたと。

もともと森は、自分を大きく見せようと強がる性格で、リーダーになったことで、自分が持つ弱小の部分を覆い隠すために、自ら構築したイデオロギーにすがったのではないか。

永田も、自分の役割をこなすために、森が勝手に作り上げたイデオロギーに必死に追従していると思う。

著者は、山岳ベース事件は「森君の観念世界の中で起きた出来事なのであった」という。

一連の連合赤軍事件で、あんな犯罪者はさっさと殺せ!と感情的に叫んでる大衆こそ、実は、最もメンバーに近いと思う。やっぱり吊るして終わりじゃなく、死ぬまで、リンチ死させたメンバーに向き合い、それこそ「総括」して、命の限り、徹底的に苦しむべきだ。森みたく自死するのは、罪を背負って生きるよりも絶対に簡単なことだから。

それに、人間の心理を知る上で、近代でこんなに格好の材料はないだろうし。

彼らが目指してたマルクス主義・共産主義の世界には死生観や魂の救済といった概念はない、というか否定される。現実的な階級闘争の理論のみで。
しかし、苦悩にある人間の、苦しみを和らげてくれるのは、非科学的であっても、ただ宗教なのである。
著者も、他のメンバーも、聖書や仏典に興味を持ったりしてる。土台、イデオロギーだけで人間を動かすこと自体に無理があるのだ。

次は、また「十六の墓標」でも読んでみようかなぁ。

「1年前の今日のなんと暗かったことか。この1年間の自己を振り返ると止めどなく自己嫌悪と絶望が吹き出してきます。方向は分かりました。今、僕に必要なのは真の勇気のみです。はじめての革命的試練ー飛躍のための」by 自死前の森恒夫

「総括をされて死ぬるかえいままよと吾は罪なき友を刺したり」by 坂口弘

画像1


脳出血により右片麻痺の二級身体障害者となりました。なんでも書きます。よろしくお願いします。