保科灯香の思い出ぽろぽろ24   −中年A−

プロローグ

私は 泣き虫なわりに
感動泣きはできないタイプです。

悔しいとか悲しいとかの
自分の感情は昂りやすくて
すぐ泣いてしまうのですが、
うれしいとか切ないとかの
感動での泣きはできないんです。
もともと表情に出にくいタイプなのもありますかね。

卒業式で泣かないと冷たい人と言われそう、
めっちゃ共感できる歌詞です。
ボロボロ泣いてる子が羨ましかったです。

ただ、
去年のコナン映画 黒鉄の魚影では
1上映で3回泣きました。
感動シーンで泣けた自分にほっとしました。

推しへの愛もあると思いますが、
ここ最近 涙腺がゆるみやすくなっている感じがして、
やっぱ 歳とると涙もろくなるって
ほんとなんだなぁと実感してます。

以上プロローグでした。

本編

どうも皆様こんにちは。
保科灯香です。

今日は小学校の思い出を書きます。
記憶力がないのに
残っているのは
ろくじゃない記憶ばかりなんですが書きますね。


小学校1年生のころ、
入学したてで緊張している私についた
支援学級の担任は
めちゃめちゃイヤなやつでした。

イメージのために書いておきます。
30〜40代ぐらいの太りめの中年女性Aです。

私が、
自分で名札を付けられないと
知っていながら、
みんな移動して誰もいない教室で
1人葛藤している私を
教室の後ろから
いやーな目つきでジトジト見てるんですよ。

自分から付けてくださいって
言ってくるのを待ってるんでしょうね。
なんにも言わず、
教室のはしっこからジトジトと…。

今思うとコミュニケーション力を
とか考えてたのかもしれませんけどね。
(そう考えられるようになった今でもなお
腹立ちます。)

もうちょい 柔らかい雰囲気とか態度だったら
頼もうかなとも思いましたけど

ずーっと後ろから
はよ頼みに来いよとばかりに
ジトジト見ていて、

もう その態度にムカついて、
意地になって格闘して
なんとか自力で名札付けましたよ。

自分で名札付けれるようにしてくれて
ありがとーございますー。

あと!もう一つ絶対忘れないのが、
工作作業のときに
不器用のブッキー と呼ばれたこと!

茶化しとか愛称とかとは
明らかに違う
からかい口調でしたし、
ブッキー、ブッキーっ て
時間中 何回も連呼されましたもん。

ぁ゙ぁ゙ー、思い出したら腹が立つー!
これこそ統制すべき
悪意ある あだなでしょうよ!


2年生からは、
本人にもなつかれていない自覚があったのか
たまたまかは知りませんが
担任が変わりました。

その変わったあとの担任は
癖は強めなものの
優しい人で、
タメ口で雑談するぐらい
打ち解けられました。

身体の支援学級に入る人はあまりいないようで、
私が入学したときに新しく作られてから
6年間 1人だけでした。

あのまま
あの担任だったらと思うとゾッとします。

以上です。
なんか ちゃちい怪談話みたいなオチになってしまいすいません。


エピローグ

今回も読んでいただき
ありがとうございました。

気持ちのいい話ではなく
申し訳ないです。
なにぶん 思い出を書き留めるというモットーで
はじめておりますので、
記憶力のない私に残る数少ない思い出に
善し悪しを選別するほどもないのです。

次回は
どうでしょう…
小学校編の続きかもしれませんし、
意味のない ぼやきかもしれません。

気が向けば
読んでくださるとうれしいです。

ありがとうございました。

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