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呼吸

今回は私がチガソンをやめた理由とやめてからについて書こうと思います。やめた理由はこれ!!といってはっきりしたものではなく、なんとなくやめようと思ってやめてからまた考えたらいいかとゆう曖昧なものでした。

今の旦那と付き合いはじめてからやめました。うん。多分そう。付き合いたては結婚なんか全く考えてないからなんであのとき辞めようと思ったの今もよく分からないけど飲まなくても症状出ないかもしれないしってゆう期待を抱いてたのもあると思う。突然発症したら突然治ることだってあるんじゃないか?

実際に先生がダリエー病の症状が出なくなった人はいるけど何が理由で出なくなったかは分からないって言ってたし自分も治るかもしれないって思ってた。

んでチガソンをやめたのですが辞めてから数ヶ月は症状が出なかった・・・気がする。でもやっぱり出ましたね。胸が痒くなってきたから掻いたら一気に出るとゆう感じでした。

ちなみに私はやめる数ヶ月前からとある洋服ブランドのネットモデルをしてたんだけどそこは薬をやめて首とか見えるところに症状が出ても

「加工して消せるから大丈夫!」と言ってくれました。周りがすごく優しかったし旦那(当時、彼氏)も受け入れてくれてたから絶望に襲われることなかった。だから症状が出ても薬を再開することがなかったんだと思う。どこかで絶望するようなことがあれば再開してたかもしれない。

しかし薬をやめて一年、二年と時間が過ぎるたびに症状が広範囲に広まってきた。胸、首、脇、背中、お腹、鼠蹊部と腕と足以外に症状が出るようになった。もともと薬を飲む前よりも明らかに広がっていった。これは薬の副作用でこうなったのか、もともと薬を飲んでなくても広がっていたものかは不明。

ちなみに病院の先生には薬を辞めることにしたと伝えた。その時、先生は

「わかりました。ダリエーに関して新しい情報が出たら連絡するし僕らも頑張るから希望捨てないで頑張ってくださいね」と言ってくれた。診察室を出て待合室で泣いてしまった。誰も私に注目したりしなかった。人が少なかったのもあるけど。

ああ、そっか。こんだけ大きな病院っていろんな人がいるから別に一人泣いてても珍しくないのかと思って我慢することなく泣いた。

不謹慎じゃないとゆう気持ちだから言うけど私、病院って好きです。病院行くことない人生の方が幸せに越したことないけど。私はダリエーにかかってから病院とお友達ってくらいに病院に通ってて嫌な思いは一回もしたことないな。励まされたことの方が多い。

マイザーを顔用に処方された事も恨んでないしあの時は先生と親だけが病気のこと知ってて相談できる唯一の存在だったわけで。感謝の方が大きい。

私はこの間に卵巣嚢腫で手術、入院もしたけどそこの病院でも本当に良くしてもらったんです。中には病院ですごく嫌な思いして二度と行きたくないって思ってる人もん少なくないと思うけど私は幸いにもそうゆうことがなかった。診てもらった先生は少なくとも診察の時間は私の目を見て話してくれてたから。

脱線しましたが戻ります。薬をやめて広範囲に広がっても命に別状があるわけではないので生きてました。夏場はマスク欠かせなかったし辛かったけど。両親がいなければ自ら命を絶ったりははしないけど、いつ死んでもいいかなーくらいには思ってた時期もある。でも両親いるし彼氏(現旦那)もいるし十分生きる力を取り戻せる事もすぐにできた。

そして結婚もしました。首が詰まってるドレスをレンタルして式も挙げました。

いつのまにか35歳になりました。このマガジンも終わりが見えてきました。なんでnoteにこのことを投稿しようと思ったか。次の記事に書きます。

ちなみに病気のことを全て書き終えたら、しばらくはどうでもいいこと書いていくつもりです。最近読んだ本とか作った料理とかね。

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