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「困ったときは、おたがいさま。」

「困った時は、お互い様だよ。」
そんな言葉をかけてもらったことがある人は、この国の中にどのくらいいるのだろうか。

私はそんな言葉を、一度だけ、ある人にかけてもらったことがある。
自分なりに一人で踏ん張って生きてきて、でも、もつれにもつれてもうどうしようもなくなって、やっとの想いで頼った先で手を払いのけられてしまった時に、そんな言葉をもらったことがある。

あたたかい言葉を自分が使えば、あたたかい言葉が返ってくる。
トゲトゲした言葉を自分が使えば、それもまた自分に返ってくる。
自分が選んだ言葉で自分が使った言葉で、自分の人生は創られる。

私は、ある人にそんな風に大切なことをたくさん教わった。

人を頼ることが、それほど得意ではないけれど、最後には自助が求められてしまう今のこの国では、一人で生きていけるほど私は強くはない。だから、自分が一人でどうしようもできなくて困った時には、自分の弱さや至らなさを受け入れて、信頼できると思える人を頼ってみたいと思うようになった。
そして、その人たちが困っている時には、そっと寄り添って、そして少しでも行動できる人になりたいと思うようになった。

どうしようもない状況で、それまでたくさん頑張ってきてしんどくなってしまった八方塞がりの状況で、他人から、そして社会から「自助努力」を押し付けられてしまうのは、本当に崖から突き落とされるような恐怖と真っ暗な闇の中でただ一人取り残されるような孤独感と絶望感をおぼえる。そんな想いは、本当は誰も知らなくていいし、しなくていいはずだ。

「えんちゃんの周りは、本当にいろんなつながりがあるよなぁ。
ほんま人脈すごいね。」

そんな風に、言ってもらえることがあるけれど、私の人脈は私のものではないし、それに、私の力だけで作ったものでもない。私の周りの人たちが、困った時にお互いに支え合えるものであってくれたらいいなと思っっている。

私には精神疾患も貧困もある、たいした学歴もない。だから、大きなことはできないかもしれないけれど、せめて自分の周りだけはそんなあたたかい小さな循環があったらいいのにな・・・と思う今日この頃だ。



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