雨の夜に転んだ原付バイク

雨の夜だった。もう5、6年以上前のこと。

前の職場の近くに片側2車線づつの交差点があって、いつも人もクルマも往来が盛んだった。
大きな交差点だけあって、信号待ちが長い。点滅していたら駆け抜けてでも渡っていたのに、その日は傘をさしていたし(いつもよりは)早く会社を出ていたので見送った。

点滅も終わるころ、正面からきた原付バイクが左折後に転んだ。

私が信号待ちしている横断歩道、奥の車線で、仰向けに倒れた男性がジタバタと起き上がろうとしている。けれど、バイクの下に脚が挟まって起き上がれない。
すぐに信号の色は変わった。男性を認識している1台目の車両は発進せずに待ったけれど、クラクションに負けて左車線へ。後続車も直前で気がついて左車線へと避けていく。

誰が見ても危なかった。横断歩道のどちら側にも人はいた。
なのに、だれも彼に駆け寄らなかった。私も動かない1人だった。

だけど、後から交差点に来た1人の男性は彼に気が付くと、左右を確認してすぐに駆け寄った。先に信号待ちしていた人たちを追い抜いて。そしたら、それに間髪いれずにパラパラと何人かが続いた。バイクを起こしたら転倒した男性は自分で起き上がって歩き出したので、私はその横を通って少しだけ安心しながら駅へと向かった。

家に帰ると母がスープを温め直してくれた。雨で寒かったでしょ、と。湯気があがる食卓を見て、私は自分がとても卑怯な人間な気がした。
困っている人を見捨てたのに自分は安全な場所に帰ってきている。彼が本当に辛かったのは、たくさんの人がいるのになかなか誰も助けに来てくれなかったことではないか。あの場所で必要だったのは、バイクが起こせる人でも、男性を支えて移動できる人でもなく、行動をおこす最初の1人だったのではないか。何もできなかった自分が、ただただ申し訳なくて、情けなくて、惨めだった。



今年になってから、いくつかの電子署名と何件かの寄付をした。ウイルス関連のものも、そうではないものもある。なんの役にもたたない自己満足かもしれない。
だけど、何もせずにいたあの夜の悔しさを、私はもう2度と感じたくない。



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