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罪悪感といふもの...

誰しも感じた事はあるかと思います。
(感じた事ない人はすぐに大きな病院へ)

まぁ、けして心地よい感覚ではありませんよね。
響きも、字も悪いですし...。
感じなくていいなら、間違いなく感じたくない。

しかし、罪悪感は人が生きる上で
切っても切れない重要な感覚なんです。

まず第一に、
人を現在の環境に強く留めておく働きは、
この罪悪感によるところが大きいです。

変わりたいのに変われない。
挑戦したいのに踏み切れない。
恵まれているのに、幸せと感じきれない。
信じたいのに、信じられない。
人に慕われているのに、孤独。

これら全ては何かしら過去の記憶から来る
罪悪感の働きによるものです。

要は心の足枷ですね。

ただ見方を変えれば、この罪悪感のおかげで
特に危険なリスクを負う必要はない生活を送っている
とも捉える事ができます。
脳の防衛本能からしたら願ったり叶ったりなんです。

しかし、人は安全を求めつつも、
存在意義を渇望する生き物です。
足枷により得た安全は、いずれ諦めという失望を生みます。

勇気を持って踏み出しても、
気を抜くと元の位置に戻ってしまうもの。

罪悪感には、どの道、向き合わねば
存在意義を確立する事はできません。

恐らくほとんどの人は見て見ぬフリをしているか、
罪悪感の対象は知りつつも、原因を勘違いしています。

罪悪感の原因は、間違いなくその罪悪感の対象です。

これを自分だと決めつけている人が多過ぎて多過ぎて...。
罪悪感を植え付けたのは間違いなく、
本人でなく感じさせている相手なんです。

ここ理解しておかないと一生かかっても向き合えません。
良い悪いでなく、責任の所在の話です。
責任は対象にある事を理解したうえで、
対応せねばなりません。

友人に悪い、恋人に悪い、家族に悪い。
これら全ての原因、責任は、
その友人、その恋人、その家族にあります。

けして間違わないように。
勇気を出すのは、それを認めるところです。

ではでは。

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