本歌取りという名のコピペ作法

日本の伝統文化は「型」を大切にしています。茶の湯であったり歌舞伎であったり、伝統文化とよばれるものの多くは受け継がれた「型」をまずは身につけ、それからアレンジを行います。
入門したばかりの頃には、師匠の動きを真似るところから「型」の習得はスタートします。
歌舞伎の中村勘三郎は、「型」がなければ「型無し」といっていました。
この身体的な動きの継承は、何度も何度も繰り返し行うことで身につき、他の流派との違いも、その道のコミュニティに属する人であれば、すぐに気づくものです。

こうした伝統文化の「型」は、古代・中世の有職故実でも大切にされていました。古代・中世の貴族社会において、儀式を執り行うことは政として重要視されていました。そのため、儀式の際の所作は各家によって受け継がれ、作法を違うと非難されました。

また、和歌の創作において「本歌取り」があります。本歌取りとは、有名な古い歌(本歌)の句を自作に取り入れて歌を詠むことをいいます。
和歌の家である六条家の藤原清輔は「盗古歌」(こかをとる・ぬすむ)ものとして批判的でしたが、御子左家の藤原俊成は表現技法として評価し、息子の藤原定家は、よく本歌取りを行っています。実際に本歌取りが大流行したのは藤原定家が編んだ『新古今和歌集』の頃でした。
江戸時代の歌舞伎でも中世の話をパロディー化して脚本を作ることはままありました。例えば忠臣蔵の話も直接大名家の名前を出すことを憚り、南北朝の話としています。

日本文化では、こうした「模倣」がとても重要なキーワードだったといえるでしょう。
但し忘れてはならないのは、こうした模倣は、総てお互いに出典を理解しあった上でのことです。ルールがないわけではありません。
例えば本歌取りは、本歌と深い関わりが無ければそういわれなかったようで、この他、さまざま約束事があって、はじめて成立していました。和歌の創作という芸術活動を行うコミュニティが有するルールがあってはじめて成立していたものといえます。
また、歌舞伎の仮名手本忠臣蔵にしろ、南北朝時代の話と思って観ている客はいませんでした。

さて、翻って現代の話。
レポートや研究について、教員は剽窃はしてはいけない。と注意喚起をしています。
剽窃?別にサイトから有益な情報を探し出し、コピペしてるだけです。と思う方もいらっしゃる。
コピペというと、なんだかライトに聞こえますが、同じ概念を海外ではプレジャリズムといい、正しい日本語でいえば盗作や剽窃とよぶ行為です。つまり、コピペとは剽窃、盗作をすることに他なりません。

日本の伝統文化であげた本歌取りや型というものは、芸術活動を行うコミュニティのルールがなければ成立しないといいました。
つまり、コピペもルールを守らなければ、人の創作を黙って盗む、窃盗行為になります。
コピペのルールとはなにか。それは「引用」です。

たった一文だとしても、他者が書いたものを、他者が書いたものとして出典を書き、引用したことを示す。それが大切なルールです。
指示語や語尾を変えたところで、自分の文章とはなりません。
大学というコミュニティで学ぶ上での、大切なルール。それが剽窃はしないで、引用をするというものです。

改めて。
webにあるレポートに役立ちそうな文章を切り貼りする。そうした行為は剽窃にあたり、厳しく罰せられます。
また、そうした行為をしたところで、学びは自分の血となり肉となりえません。レポートなどの考察とは、自らが考え、自らの言葉で紡ぎ出してこそ価値があります。他者のアウトプットしたものをまとめるだけでは例え、ハイスコアを得たところで無意味です。
以上のようなことからも、他者の文章は引用して、自分の文章とはきちんと区別する。そして引用した他者の文章の出典は、参考文献欄に示す。この2つがとても重要になります。

というわけで、学生向けに書いた剽窃の注意喚起でした。


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