本の魅力

職業柄、論集や史料集をはじめとする本を多く購っています。小さい頃から本屋にいくのが大好きで、大人になったいまでも、少し時間の余裕があれば本屋へ通っています。
旅行先では地域の本屋に入り、どんな本が売られているのかをみるのが習慣づいています。本屋さんといっても新刊を売っている店だけではありません。古本屋さんも同様です。
そうすると読みたいなー、と思う本がなぜか見つかってついつい購ってしまい部屋の片隅で積読本として溜まって行きます。そんな経験、皆さんはありませんか?
本という「もの」は人によって、中毒性というか、ある種の引きつける魔力をもった「もの」といえるのではないでしょうか。

現代社会において「活字離れ」、「本離れ」が叫ばれていますが、実際には多くの本が刊行されています。ものの本によると、2008年で書籍類は約77000点の新刊が刊行され、販売部数は7億5500万部と言われています。これだけ聞くと、とても活字離れが起きているとは思えません。

翻って、平安時代や鎌倉時代には、本というよりも紙そのものが貴重で、貴族や僧侶、武士の一部しか、紙を多く使うということは出来ませんでした。また本も今のような形ではなく、巻物状や冊子状になったものです(今回は便宜上、本という名称のままでお話します)。
そんな中にあって本も大切にされていましたが、如何せん印刷技術が当世のように発達していません。そのため、本を読みたいと思う人は、数多保有している人から借り受け、それを写して自らのものとしていました。つまり写本です。
鎌倉時代には400点以上あったといわれている平安鎌倉の小説が、応仁の乱以後、非常に少なくなってしまいます。京都の街でおこなわれた合戦からたまたま生き延びたというものの他、現代に伝わっている本には、多くの写本があったからです。
こうした本を愛好し大切にするという思いは、応仁の乱以降でも同じで、識字率が格段に向上した江戸時代では、一部の人々の他、民衆も多く本を読みあさりました。小説・随筆だけではなく、観光ガイドブックや、化粧の仕方などなど様々な本が作られています。

ただ、多くの本が生み出されていたからといって、古くからある本が等閑にされることはありません。読み継がれて破損したものは、丁寧に補修されて今日に伝わっています。
江戸時代に本を修理した際の語彙を、典籍類の修理奥書から拾ってみましょう。修理・修補・修覆・修飾・修治・補綴・補虫損・補欠闕・裏打・裡打などなど。書き方は様々で、どれもニュアンスが異なります。破損状況に合わせて、大切に修理されてきたというのが、この語彙からも読み取ることが出来るでしょう。
また、「修飾」とあるように、新たに装丁を整え直すということもあります。本の魅力といえば、内容もさることながら、装丁などのデザインも含まれます。
その時々の本の所有者の「好み」によって、修理と共に装丁も仕立て直されている場合があります。

茶の湯などの伝統文化にたずさわる方から「伝統文化というものは、お金でなく、時間と想いを費やすことで維持されている」ということをうかがったことがあります。
本を作った人、写した人、読んだ人と、その「本」に関わったすべての人たちが、修理をし、大切に伝えてきたからこそ、私たちは昔の本を読むことが出来ます。

「源氏物語」程の古典文学ではなくとも、過去に編まれた多種多様な本について、内容も装丁も、そして伝来にも思いを馳せながら本を見ると芸術を知ることがより愉しくなると思います。

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