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いま出ました。

蕎麦屋の出前ではない。史料集を出した。
史料纂集の古文書編、宇治堀家文書である。古文書編としては51回目の配本となる。
宇治堀家文書は国立歴史民俗博物館所蔵の田中穣氏旧蔵典籍古文書にある。3巻からなり、京都宇治の中世から近世にかけて活躍した茶師の堀家が集積していた文書群と考えられている。現存するのは148通である。朝廷や幕府、大名と、一般の方々が興味関心を引く文書は少なく、多くは土地の売券である。茶師の堀氏がどのように土地を集積していたのか、また売買のやりとりはどのようなものであったか。在地のあり方がよく分かる。

今回の史料群を読み込んでいて、個人的に興味をもっていたのが、売買取引における融通さである。悪く言えばいい加減さである。以前、売券に関することで論文を書いたこともあり、古代から近世にかけて(とはいっても近世は網羅するのが難しいので一部だが)の売券を捲ったこともあるが、面白いのはその地域性である。地域毎で売主・買主と互いに了解されていることがあるのだろう。古文書学の様式論にはおさまらない、様々な売券と出会うことができた。

https://catalogue.books-yagi.co.jp/books/view/2347

史料集をつくることはとてもしんどく、大変な作業でもありつつ、歴史研究者として冥利に尽きる愉しい作業でもある。読めない字との格闘があり、編纂物としてどのように文字を配するかの思案もある。史料集によってはそもそもの決まりもある。例えば史料纂集といえば正字主義をとっている。ただ中世の古文書とはいえ略字なども多々あり、意図して用いられることもある。どこまでを正字として、どこまでを史料群に合わせるか悩ましい。

また、翻刻をしつつ一点毎の内容を把握し、校訂註や鼇頭を付けていく作業が待っている。史料集は編纂物として、単に翻刻をすればよいというものではない。現在の研究の成果を含め勘案し、人名などを明らかにする。師匠から史料集であっても、校訂註などは研究成果であり敬意を払うべき。と学部生の頃から教わってきた。論文を書いていくことも大切なことだが、歴史学で口に糊する身としては史料集をつくることも大切なことと考えている。業績至上主義の昨今では、史料集は利用されこそすれ、研究成果としてはあまり顧みられることはない。また手間暇がかかるためか昨今では出版社も史料集を出すことは少なくなった。シリーズものでいえば東京大学史料編纂所の大日本史料・大日本古文書・大日本古記録の他は、八木書店の史料纂集が定期的に刊行しているものといえるだろう。

とかく史料集をつくるには時間がかかる。今回の宇治堀家文書も、代表編者の橋本さんにお声がけいただいたのは2013、14年の頃だっただろうか。私なぞは主としては橋本さんの作業のお手伝いをしていたに過ぎないが、3人で本文をまとめ、付きものである解題以下をつくるまで7、8年かかった。ようやく刊行したことになる。

論文を短期間で量産し学位を取得してからアカデミックポストを探す昨今のあり方とは、些かことなるものだ。しかし歴史学とは史料を博捜し、丹念に読み込み、その中から新たな歴史像を構築していくものだ。短期間でどうにかなるものではない。1点の史料からどれだけの情報が読み取れるか。妄想にはならず、史料に丁寧にあたることを大切にしたい。

学部生や大学院生の頃の欲得なくただただ史料を読むのが愉しい時期に、読み込んでいたのが史料纂集である。もちろん、その他の活字史料集も読んでいたが、花園天皇宸記をはじめ、いまでも時間ができれば捲る史料集といえば史料纂集が筆頭にあげられる。学部生の頃から愛読していた身として、史料集のなかでも史料纂集に携わることができたのは密かな喜びでもある。

ともあれ「いま出ました」。
宜しければ図書館ででも手に取ってみて下さい。

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