志ん朝師匠 没後20年

10月1日は古今亭志ん朝師匠の命日。没後20年。

 突然の訃報にいてもたってもいられず、6日の葬儀の日に上京していた。護国寺に駆けつけて遠くから手を合わせよう…と思っていたのに、なぜか足が向かったのは新宿の寄席、末廣亭だった。お寺に行くより寄席で笑うほうが志ん朝師匠の送りにふさわしい気がしたのだ。

 その日は二階まで開いて満員だった。次々に高座に上がる芸人さんたちの中には、志ん朝師匠との思い出を話される方もいたけど、実はもう覚えていない。そりゃ20年前のことだもの。でもはっきり覚えているのは、その日のトリは三遊亭白鳥師で、しかも真打披露興行だったのだ。落語界の破壊者にして創造者、白鳥師。今思えば志ん朝師匠の送りの日にこれほどふさわしい噺家さんはいない。真打の口上のあと、円丈師がランゴランゴ。トリの白鳥さんの高座を見るのは初めてで、もうゲラゲラ笑わせてもらった。だって後ろ幕の中から出てきたんだよ。噺も涙が出るぐらい笑ったのは覚えてるけど、演目は覚えてない。

 そのおよそ1年後、2002年9月に彦いちさんと鹿児島で落語会を始めたのだけど、それはまた別の話。

 志ん朝師匠の死後、どうなるかと思われた落語界はその心配をヒョイと飛び越え、人気を得た多くの噺家がそれぞれの存在感を発揮し、平成にひとつの爛熟期を迎えることになる。

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