できるかできないかではなく、できるまでできるかできないかだ


先日大学時代の友人で、体操選手である
野々村くんの引退試合を見に行った。

彼とは大学一年の時、寮で同部屋だった。

入寮日の日に彼は居らず、大きな試合に出場していたというのだから、そんなエリート体操選手と二段ベットを分け合えるだなんて、既に鼻が高い思いであった。
しかし分け合えるとか言っておきながら、勝手に下の段を占拠したのは申し訳なく思うが、上の段に軽々と登る彼は流石体操選手と言えるほど
無重力を感じさせる登り方だった。
と勝手に思い出を美化している。

あの日から

ロンドンオリンピック、リオオリンピック

そして東京オリンピックと

三大会のオリンピックがあったが

彼が選手として出場することはなかった。

体操の詳しいことは分からないが

将来を有望視されていたらしく

ポスト内村航平なんて記事も見た。

当たり前のことだが、色々なスポーツにおいて

常勝であるということはとても難しい。

次々と有力選手が出てくる中で

誰もが右肩上がりの競技人生を歩めるとは限らない。

寡黙な彼だからこそ、人には出さない

葛藤や悔しい思いがあったと思う。

練習を夜遅くまでして、寝るだけに帰ってくる彼とは微妙な距離感を感じていたが、心底尊敬していたし、存在だけで刺激を貰っていた。

そんな彼が引退するというのだから
観に行かない訳がない。

何気に体操の試合を観に行くのは初めてであった。

何故か自分が緊張していた。

全日本体操団体選手権

チームで総合得点を競うこの大会

彼は吊り輪のみのエントリーだった。

個人総合を得意とする彼からすると

少なすぎる出番と言っても過言ではない。

しかしそれ程の状況だったというのは

なんとなく察しがついた。

逆に手術を乗り越えてここに出れるまで

準備できたことに尊敬の念が深まる。


彼の最後の演技は

素人の目から見ても美しく

一つ一つの技に彼の今までの全てを感じた。

そしてまるでマットに吸い込まれるような着地

間違いなくあの瞬間会場は彼だけのものだった。

渾身のガッツポーズに纏う炭マグの粒子

彼の最後の演技に会場の全員が惜しみない拍手を送った。

鳥肌と同時に目頭に熱いものが込み上げた。

こんなに拍手を止めたくないと思ったのは初めてだ。

やり切ったんだな。

そう思うとこちらも安堵の気持ちで包まれた。

試合後、晴れやかな表情の彼と久しぶりの再会をした。

また目頭が熱くなった。

本当にお疲れ様。
と近くで言葉をかけさせて貰えて嬉しかった。

彼は本当にトップアスリートだ。

だからこそ目標とするところは当然最も高かったはずだ。

しかし彼は間違いなく

記憶に残る選手になれたと思う。

記録は時代が進めば誰かに抜いていかれるが
記憶は人の中に残り、語り継がれてゆく。

あの様な素晴らしい舞台で引退セレモニーをしてもらえて、みんなからの盛大な拍手で選手生活に幕を下ろせた彼を本当に誇らしく思う。


最後に彼が寮の壁に貼ってあった言葉を

できるかできないかではなく、
できるまで
できるかできないかだ

僕はこの言葉に出会い
随分と励まされたものである。

この言葉を自らの体操人生で体現したんじゃないかなと、勝手に思ってる。

笙吾、本当にお疲れ様。


おわり。



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