プリンス:ニュー・パワー・ジェネレーションの誕生 その4

割引あり

8.マイケル・ブランド、モーリス・デイ、そして二人の美女

 アルバムの次はライブ、3月いっぱいで『Batman』の曲制作を終え、遅くても4月に入る頃プリンスはラブセクシー・ツアー時とは異なる新しいバンドのメンバーを誰にするか考えていたはずだ。まずはマイケル・ブランド。『The Vault』によれば彼が正式にプリンスの新しいバンドに入るよう言われたのは89年4月4日、プリンスがコンサートをしに来ていたボンジョビのためにパーティを開き、そこへマイケルを招待、その際に告げたとされる。その前日プリンスがドクター・マンボス・コンボとミネアポリスのバー、バンカーズで演奏していると『The Vault』にはある[後述]。とにかくもはやシーラ・Eはバンドのドラマーでは完全になくなってしまった。
 マイケルのインタビュー。❝[プリンスと初めて会ったのは何歳の時?]18歳。[緊張しましたよね?]まあ少しはね。それで、その後の数か月で状況が進んでね、最終的に彼は俺に適切な仕事を提供してくれるようになったんだ。その時俺は素朴にも彼にこう尋ねたのを覚えてるよ、本格的に始める前に、もう一学期大学に入る時間はあると思いますか?って。プリンスはただ大笑いして、そんなことをする時間はないと思うよ、と言った。俺は本当に無知だった、俺はどこからも来ていない[注:マイケルはミネアポリス出身]、何も知らなかったんだ❞。
 『DPSDE』のブックレットだと、先の88年10月3日と思われるプリンスとマイケル・Bのバンカーズでの初顔合わせの「数週間後」、89年4月4日のパーティとなっているが、これでは時系列がおかしい。ブックレットの19歳の時にプリンスからマイケルは[バンド加入して欲しいと]声をかけられたは正しいのだが。一方『The Vault』にあったプリンスがマイケルらの演奏に参加、とは『DPSDE』のブックレットではなっておらず、プリンスのセキュリティーがバンカーズに来て、彼らドクター・マンボス・コンボのメンバー全員をボンジョビのパーティーのために確保、彼らをペイズリー・パークに呼び、プリンスとステージに上がって演奏、ファンク・ジャムを繰り広げた、となっている。そしてPAを通してとプリンスはマイケルに、❝ねえ、君は仕事を探しているんじゃないの?❞と声をかけており、その2日後マイケルの父親にマイケル君とお話があるのですが、とプリンスが連絡して来た、こういう流れになっている。アウグスブルク大学の2年生で、秋に3年生になるマイケルだったが、そのプリンスからの電話で、秋の一学期は終えられますか?と尋ね、忙し過ぎて無理かもしれないよ、とプリンスに言われているのは先のインタビューと同じだが、もうこの時点でマイケルはせっかちなプリンスにペイズリー・パークに呼び出されていたかもしれない。

参考:
マイケル・ブランドのインタビュー
https://www.thecurrent.org/feature/2017/06/07/michael-bland-shares-his-incredible-stories-of-working-with-prince-soul-asylum-westerberg-and

 89年4月19日はホーム・ヴィデオ『Lovesexy Live 1』と『Lovesexy Live 2』発売。5月11日はオルフェウム劇場で第9回ミネソタ・ミュージック・アワーズがあったがプリンスは欠席、『Lovesexy』でベスト・アルバム賞が授与されたが、リーヴァイが代わりにトロフィーを受け取っている。5月24日はメイヴィス・ステイプルスのアルバム『Time Waits For No One』のリリース日。正直89年4月から5月はプリンスは表向きにはあまり動きがない。
 5月27日、28日にはPV「Batdance」の撮影がLAで行われる。ここでプリンスは映画『Batman』のヴィッキー・ベイル役のキム・ベイシンガーと知り合いとなった。キムは既にメイクアップ・アーティストのロン・ブリットンと結婚していたが、その頃二人はもう別居していた。また彼女は歌手になりたい野心があり、プリンスがそれならば一緒に音楽を作ろうとキムをミネアポリスに招待した、と『The Vault』にはある。

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