プリンス:ニュー・パワー・ジェネレーションの誕生 その1

割引あり

序文

 プリンスが設立したレーベル、ペイスリー・パーク・レコーズがあるレコード会社、ワーナー・ブラザース・レコーズ[以降ワーナーとする]に対して、あまりにも大げさなジェスチャーと共に激しい攻撃を繰り広げることとなる90年代。92年8月31日にプリンスは当時の音楽業界においてトップとなる一億ドルの契約をワーナーと締結したが、前金1000万ドルを得るためにはアルバムを500万枚以上売らなければならず、ヒット必死の入魂アルバムを時間をかけて制作する必要に迫られる。溜まったら出す的コンスタントなリリースを常日頃から望んでいたプリンスは、その契約によって自らの首を絞めることになってしまうのだ。そこで発音できない、勝手に作ったシンボルを自身の名に置き換え、プリンスは死んだと言い張り、契約を放棄し自由になろうとした。一度サインしてしまったのなら反故にすることは常識的に言ってほぼ不可能なことである。しかしプリンスはマジだった。

 拙著『ゴールド・エクスペリエンスの時代』では、93年からいよいよプリンスがワーナーと対決姿勢を見せていく環境において、彼が溢れんばかりの創作意欲で以てどれだけの名曲を作っていったのか、その内どれほど世に出ていないままなのか、プリンスVSワーナー史のおおよそ前半部分、ワーナーとの契約の終了、プリンスとマイテの出会いから二人が結婚する96年まで、彼の女性遍歴を含めつつ時系列に書いている。

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 前半とはいったが、それより前にもプリンスとワーナーには確執の火種が生まれていて、拙著『サイン・オブ・ザ・タイムズのすべて』ではプリンスの思うようにリリースさせてもらえないワーナーに対しての不満が、87年の傑作アルバム『サイン・オブ・ザ・タイムズ』となって結実する、その経緯を書いた。

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 『Purple Rain』では音楽と同時に映画も大ヒットとなり、続けとばかりにコンスタントなリリースがありながら、もっともっとと新曲がラジオで流れてくるのをファンにじりじり待ちわびさせもした。またインタビューを殆どしないことで神格化され、それが故に彼の音楽そのものと向き合わざるを得ない状況にさせられもした。既に一時代を築き上げてしまったかの如く勢いがあったのが80年代のプリンスだ。しかし90年代となっても彼の音楽性はそれに甘んじることなどなく進化を続けた。最早血肉化していた、ファンク、ソウル、ジャズ、ロックといったジャンルも、それぞれがより柔軟さを獲得しつつも円熟に溶け合い、ニュー・ジャック・スイング、ヒップ・ホップ、ラップといった新しい音楽とは、対峙しつつも微妙なニュアンス感覚で取捨選択して自身へと取り込み、革新性とコンテンポラリーさのバランスを取りつつ、音楽の垣根をどんどん壊していった。またプリンスの音楽性の輪郭を更に拡張すべく、他アーティストへの曲提供を積極的に行い、パラレルに進行している複数のプロジェクト、アルバム作りを、中々思ったように出せない状況にも係わらず粛々とこなし、プリンスの音楽貯蔵庫ヴォルトに次から次へと収めていった。
 
 これらを遂行するために今まで以上に彼の自由となる、機敏でテクニカル且つ従順な人材を、プリンスは切に必要としていたのだ。コンサートでは自分の気まぐれに応じて曲の展開やセットリストを変えたり、好きな時間に[大抵は皆が寝静まる真夜中に]ギグ、リハーサルをする、そんなわがままに耐えることが出来得る名手達を。ニュー・パワー・ジェネレーションというバンド[以降バンドを指す際NPGとする]はその過程において誕生した。今回はNPGがどのようにして生まれたのかを、あまり関係ないことだと思われることさえ実は伏線になり得ると信じつつ、行き当たりばったりで書いていき[筆者はこのやり方が一番好きだ、というよりこのやり方で何とかなってきた]、そして来る『Dimanods & Pearls Super Deluxe Edition』がリリースされ新発見を確認出来次第更新、より詳細とするべく、プリンスVSワーナー確執前夜までを書いていこうと思っている。

 読んでいくにあたって断り書きがあるのをご了承いただきたい。人名、バンド名は原則カタカナ表記[読み方不明、または有名ではない場合検索しやすいように英語で表記している場合もある]。アルバム名、テレビ番組名、雑誌名は原則英語で『 』内に表記している。曲名はオリジナルの英語で「 」内に表記。そして「 」に続く#番号は作られたヴァージョンの順番を表す[#3ならヴァージョン3ということ]。#を付けたのは、基本ブートレッグやYouTube等で聴くことが出来る非公式の、未発表曲もしくはリリースされている曲の別バージョンを指す。マルチ・シングル等に収録されているリミックス等のオフィシャル・リリースされた別ヴァージョン曲は#番号を付けていない。またどのヴァージョンか不明、映像からのリッピング音源、タイトルが不確定なもの、スニペット、ヴァージョンとして名付けられない場合、#番号を省略していることがある。( )内は曲の演奏時間だが、その表記がない場合は、一度事前に表記している、discogs等演奏時間を表記しているサイトのリンクを載せている、ブートレッグを含めて存在せず曲名だけが知られている、詳細不明の曲、プリンスに関係しない曲、もしくはただ曲名だけを記しておきたい場合となる。❝ ❞の中はインタビューでの発言、文章の引用だ。また繰り返しの多い表現は断り書きの後省略している場合がある。例えば『Diamonds And Pearls』を『DP』とする等。また地域名、会場名は原則日本語だが、長かったり読み方が不明の場合等アルファベット表記をしている場合もある。

 ❝Welcome 2 the new power generation 新しき挑戦の時代へようこそ❞。まずはミネアポリスで結成され、今やレジェンダリーとなったあるバンドとプリンスがセッションを行った所からこの記事は始まる。

参考:
https://npg-net.com/2023-06-08/
https://www.partymind.org/bio05.html

第一章 ニュー・パワー・ジェネレーションへの道

1.伝説のバンド、ドクター・マンボス・コンボ

 時はラブセクシー・ツアー、北米レグ中の88年9月28日。プリンスはミネアポリスにあるペイズリー・パークで行われたジェフ・カッツによる写真撮影の後、エリック・リーズ、アトランタ・ブリス、そしてシーラ・Eらツアーのメンバーを引き連れてライブ・ハウス、ファイン・ラインに姿を現し、そこでドクター・マンボス・コンボというバンドとセッションを行ったとパー・ニールセン著『The Vault』に記載されている。タ・マラ&ザ・シーンのリード・ヴォーカルだったマーガレット・コックス。そして「Funkytown」の全米ナンバーワン・ヒットを持つミネアポリスのグループでデヴィッド・リヴキンも在籍していたリップス・インクのリード・ヴォーカル兼サックス奏者のシンシア・ジョンソン。そしてドラマーは後にプリンスのバンドに参加することになる、マイケル・Bことマイケル・ブランドであった。

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