サンセット・サウンドの公式YouTubeでアップされた音源について。

プリンスが80年代に使っていたスタジオ、サンセット・サウンドの公式YouTubeで突如公開された、2曲のプリンスの未発表曲。(KIDさん、速攻まとめて下さって感謝です。)

https://npg-net.com/2024-04-29/

 「Wouldn’t You Love To Love Me? (Demo)」の方は既にブートでリークしていた#2と同じであった。既にフルレングスのヴァージョンが出回っていたということになろう。この曲はシュー・アン・カウエル、マイケル・ジャクソン、そして最終的にタジャ・シヴィールと、提供されるシンガーの変遷があり、その中でヴァージョンが変わっていく、プリンスには珍しいタイプの曲だ。
 アシスタント・エンジニアのテリー・クリスチャンのコメントがデュエイン・チュダール著『Purple Rain Era Studio Sessions』にあるので紹介したい(以降この記事は、この本からあちこち参考にしています)。「彼は決して準備しなかった。(スタジオに)ただ入って来て、どうグルーブするか。次に何が起こるか全くわからないことが彼をフレッシュにさせる。彼にとってデモはマスターなんだよ」。一度録音してしまうとプリンスはそれを完成曲とし、次の曲へ、次のプロジェクトへ、と進んでいく。
 
 公開された「She's Always In My Hair (Demo)」は今までなかったヴァージョンだった。やはりデモとあるが、「Raspberry Beret」の12インチ等に収録されている「(New Mix)」とバッキングはほぼ同じ。その違いはまず効果音がほんの一部だが入っていない。princevaultによればYamaha DX7 のサウンドFXが入っていないとある。「(New Mix)」の59秒のチョッパー・ベースのような音、3分35秒辺りの「Hot Thing」で聴けるようなドラム音、5分25秒や6分6秒辺りのマラカス風?サウンド等がそれだろう。特に6分14秒くらいからそのマラカス音やドドドドという連打ベース・ドラムが入って来て少しずつ音が盛り上がっていく「(New Mix)」に対して、デモは寧ろ逆で徐々にフェード・アウトして、5秒位サイレントとなるが、またバッキングが戻って来て2秒くらいでダンと終了する。これは「(New Mix)」と効果音はないが同じで、デモは一度音量を下げつつ継続、最後2秒でまた音量を上げたということになろう。そして、ドラムに紛れて不思議なタイミングでシャンと入るフィンガー・シンバルが入っていない。

 「She's Always In My Hair」は当時プリンスが大好きだったジル・ジョーンズのことを歌っている。彼女はいつも僕の髪の中にいる、いつもそばに居てくれて気にかけてくれる、と。実際歌詞をある程度作ってからこの曲作りにプリンスは臨んだ。そして83年12月29日、一日でそのデモを完成させているが、そのスタジオ録音する際の作業書にはアポロニア6の「Sex Shooter」となぜか書かれていたりする。映画『パープルレイン』を意識して作られたとか、ディアンジェロもカバーしている名曲なのになぜB面曲なのかとか、興味深いことは色々あるが、それらは長谷川の記事『ニューパワージェネレーションの誕生』でジル・ジョーンズとプリンスのことも書いているので、その辺りでいずれ触れることにする。

 83年12月31日、サンセット・サウンド・スタジオ3でレコーディングされた「We Can Fuck」。『Purple Rain Deluxe Edition』に収録されているが、この曲で初めてフィンガー・シンバルが使われた。

We Can Fuck
https://www.youtube.com/watch?v=3F2wUthZS8Y

 リズムの要、といった感じでシャンシャン鳴っている。フィンガー・シンバルは元はリサの弟、デヴィッド・コールマンが使っていた。他にウード(アラブのギター、琵琶みたいな楽器)も鳴っているが、それも彼の演奏である。また84年1月6日にはデヴィッドは「The Glamorous Life」でチェロ演奏を加えている。

 デヴィッドが初めてプリンス曲に参加したのは83年8月15日、プリンスの代表曲「Purple Rain」においてであった。83年8月3日にファースト・アヴェニューでのその演奏を録音していたプリンスは、そこにストリングスを加えることを思いついた。

 デヴィッド。「突然、姉がサンセットサウンドから電話してきて、ストリングスをやらないかと言われて。今ノヴィ・ノボグとスージー・カタヤマと一緒にプリンスの曲をやってるから、3人目の弦奏者としてあなたがはまり役じゃないかって。ケミストリーは重要だよねとOKしたよ。でも4時間しかなかった。だから急いでチェロを綺麗にして練習した。僕はその頃パーカッションばかりしていて、チェロはたまに弾くだけだったからね。だからスケールを幾つか試しに弾いて、直ぐにスタジオに向かったんだ。コントロール・ブースに入ると、プリンスはこう言った「こんにちは、デビッド。力を貸してくれ!」。彼はコンソールの席を離れ、僕がそこに座って、曲をかけてくれて、それで終わり。直ぐにノヴィとスージーと一緒に演奏開始。スージーは僕のチェロの演奏をロックンロール・チェロと言ってくれてたよ。彼女は僕よりも凄い演奏をすることも出来たけど、僕達は息が合った演奏をした。3人での演奏は相性が良かった、実際良い音が出せたよ」。

 プリンスはリサにストリングスの録音に関して頼っていた。デヴィッドのコメント再び。「リサが入って来てしてくれたことは、ピアノでフレーズを弾いて、僕らは自分の耳でパートを覚えたんだ。そして曲全体を検討した上で、ストリングス・パートを入れた。プリンスはリサの隣に座っていて、彼らが決めていることになっていたけど、リサが決めていたと思う。ストリングスのアレンジに関しては彼女が一番だったね」。
 その時エンジニアのアシスタントをしていたペギー・マック・マクリアリーは、リサの指揮っぷりを見ていたプリンスの心情変化についてこう語っている「プリンスが、今回だけはすべてをやる必要がないなあとリラックスしているのがわかり素敵だったわ」。

 スザンナ・メルヴォワンは言う「(プリンスの)耳はますます肥え、いつも使う彼自身のサウンド以外を聴くようになっていった。リサ、ウェンディ、私、そしてその家族が持ち込んだのは、彼にインスピレーションを与えるための、以前とは異なる音楽を運ぶパレットだったの。フィンガー・シンバルもそう、デヴィッドにチェロやウードを弾いてもらったのも。プリンスはそれらを何も知らなかったのよ」。

 デヴィッドは何か国語も話せるし(例えばパリジャンに、あなたパリのどこに住んでいるの?と尋ねられてしまう程)、そしてプリンスのようにマルチで楽器を演奏出来る天才だった。そんな彼が持ち込んだフィンガー・シンバル。「We Can Fuck」から8日後の84年1月8日、プリンスは「She'a Always In My Hair」にエフェクトを加える。フィンガー・シンバルは今度は控えめに鳴っている。
 84年1月29日「Take Me With U」にストリングスが加えられているが、その時に関するデヴィッドのコメント。「プリンスがフィンガーシンバルを持っているかって聞いてきた。僕は持ってます、って。そして「Take Me with U」の曲作りに参加したんだ」。この後も「Pop Life」、「Roadhouse Garden」、「Around The World In A Day」、「Tamborin」等、主にアルバム『Around The World In A Day』時期にフィンガー・シンバルは登場する。「She's Always In My Hair」もそう。

 プリンスがザ・レボリューションというバンドとの名義にしたのは『Purple Rain』からだった。コールマン姉弟の貢献がその理由の一つだったとは間違いなく言えるだろう。

参考:
http://garylcoleman.com/david.html

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?