見出し画像

20-21 ♯2 偶然と必然の違い

試合に向けて、1週間トレーニングを積み、試合当日のゲームプランを練って、スタメンを決める。90分を戦い、想定通りの試合運びでロスタイムへ。しかし、ラストプレーでゴールを決められて敗戦。試合展開は圧倒的に優勢だったにも関わらず、得点を奪うことができずに敗退。

みなさん、こんな経験はありませんか?

この敗北は偶然だったのでしょうか。それとも、必然だったのでしょうか。


僕も現場で指揮を執る中で、実際に経験したり、同じようなシーンを度々見てきました。どんな良い準備ができていたとしても、1つの不運でゲームプランが全て狂ってしまう。もはや、指導者が試合の結果をコントロールできるのには限界があるのではないか。勝利への確率を高めることはできても、最終的には運で決まってしまうのではないか。

そんなことから偶然性と必然性とは、どのような関係を持つのだろうかと疑問を持ちました。この世の中は、全て必然性から起こっていることなのか、はたまた、偶然の繰り返しが現在を作り出しているのか。
そんなことを最近考えていました。

色々調べた結果、ハッとさせられるものだったので、共有させていただきます。

まずは、言葉としての偶然や必然の使い方です。

例えば、FCバルセロナがメッシやブスケツなど優秀な選手を揃えて、優勝をすれば人々は「こんなメンバーがいれば当然だ」というように言うでしょう。しかし、もし仮にチームが降格をしてしまったなら、「あんなメンバーがいたのに、そんな偶然が起こるのか」となるでしょう。

この場合には、豪華なメンバーがいるからこそ、優勝するのが当たり前と言う思考が前提に存在しています。もし、その思考していた前提と反対のことが起こった時には、「偶然」と呼ばれるものになるのでしょう。

次に、ある選手がチームを移籍したとしましょう。その移籍先には、元チームメイトの友人がいました。そして、チーム練習合流初日に顔を合わせて、「久しぶりだな!これこそ偶然だ」とはなりません。この場合には、元チームメイトの友人が事前にクラブに所属していることを知っていて、顔を合わせることを期待していた状況です。この場合には、「偶然」という言葉は使いません。
しかし、これがもし、食事をするために行ったレストランでばったり会ったのであれば、「偶然だ」となるわけです。

こんな風に僕たちは偶然と必然を使い分けています。

そして、1つ目の例で言えば、「強い者が勝つ」と言うスポーツの世界が弱肉強食であることを正当化しています。じゃあその考えがどこから来ているのかは、より予算を持っているクラブが良い選手を買うことができ、優秀な監督を招聘し、優れた環境を整えることができると言う物理的な考え方でしょう。

それらは確かに、事実であると考えられます。ですが、もし仮に数年前のレスターシティーのように、予算や選手レベルが明らかに劣るチームが、世界最高峰リーグで優勝できた理由を説明することはできないでしょう。

この場合には2つの考え方があり得ます。

まずは、全てのことは物理的に起こっているという考え方です。例えば、所属していた選手同士の相性があまりにもフィットして、金額以上の力を発揮した。監督の考え方を全選手が理解して、エラーがないくらい戦術を突き詰めることができた。これらによって、偶然の1勝だけでなく、長いシーズンで継続して勝ち点を積み重ねられたと言う原因が存在します。よって、偶然優勝したのではないということです。

次に、原因が存在しているということは、この原因からあのような結果になるという、法則があるからこそ、「必然的」になるということです。よって、「偶然」と呼ばれるものは原因がないものということです。

じゃあ、その原因がないものが存在するのかという疑問が残ります。

ロスタイム残り1分で相手ゴール前にあったボールが、誰も触らずに自陣のゴールへワープして、ゴールが決まるということはありえません。
もしかしたら、風でボールが飛ばされて入ったのかもしれないですし、猫が入ってきてボールを転がして行ったのかもしれません。どちらにしても、原因が存在します。だからこそ、原因が存在せず、起こることはないのかもしれません。

ただ、全てのことに原因はあるものの、全てを知っているわけではないから、その法則がわからないことに対して、僕たちは「偶然」や「運」という名前をつけているのでしょうか。

だからこそ、試合で起こることに対して、「不運で負けた」や「偶然やられた」というようなことはないのかもしれません。

試合で起こる全てのことは、何らかの原因があって、生み出されているものであるということです。もし、それを「運が悪かった」と片付けてしまうのは、わからないことを「偶然」や「不運」という便利な言葉で、まとめているだけなのかもしれません。

これらの原因を見つけるための知識や経験をつけていかなければ、きっとこれからも「偶然」や「不運」でまとめてしまうのだろうと改めて危機感を抱きました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?