アフターコロナ

6月になって、会社のテレワークが解除された。
同じように、緊急事態宣言の解除によって再開したり、営業時間を元に戻した飲食店や小売店も多い。3月から自転車通勤に切り替えたので、原宿、渋谷を通り抜けるたびに人の賑わいが戻っているのを実感する。

一時はどうなってしまうかと思った。
ゴーストタウンのようになったセンター街で、小池都知事の声だけが電子公告から鳴り響いていた。

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閑散とするオフィス街、開けてもお客の入らない飲食店や美容院、街から消えたタクシー、唯一増えたのはUber配達員だけのように思えた。

「まずはコロナにかからないこと。自分と身の周りの人の健康を守ること」
そうは思うものの、自分の会社が大打撃を受け、街全体の経済も死にそうになっているのを目の当たりにして、非力な自分にもどかしい思いではちきれそうになりながら過ごした。

そんな4月、5月も気が付けばあっという間に過ぎて、止まっていた案件も無理をしながら動き出した。
毎日自宅で単独作業するよりも、やっぱり会社に出て顔を合わせながら仕事をすると安心する。もともとリモートの文化がなかったせいもあるけれど、業務の完全な切り分けが難しい事業なので、周りの作業状況を見ながら仕事するほうがずっと効率がいいし、顔が見えないゆえのストレスがない。
リモートワークは、うちの会社にとっては一長一短だった。

それで、コロナは収束したんだろうか。
「アフター」と呼ぶには早すぎると思うけれど、一旦腹を決めて前に進むとなれば、そうするしかないのだろう。
マスク、手洗い除菌、フェイスシールドとともに、学校や幼稚園、娯楽施設は再開が進む。
電車はやっぱり混んでいるし、商店街や居酒屋にもちゃんとお客が入っている。
数ではどうなのかわからないけれど、感覚的には予想以上のスピードで元通りになっていく日常に圧倒されるから、きっと来年になったオリンピックも開催されるのだろう。

このコロナ危機を経て思うのは、こんなに全国民が一様に同じ恐怖感を味わう経験は、とても珍しく、貴重な出来事だったんじゃないかということ。
短期間ではあったし、地域によって程度は違ったけれど、“平和な日常が崩れる”という得体のしれない恐怖を、みんなが一斉に体験した。

過去、戦争を経験したり、震災や台風被害を受けた地域の人々は、日常が壊れるおそろしさを知っている。そして一度経験をしたそれは、簡単には忘れることができない。
だけど、恐怖が身近に起きていない人々にとっては、いつまでも対岸の火事なのだ。私自身も、いくら被災地をこの目で見て、被災した人の声に耳を傾けても、「自分事」にするのはとても難しかった。

今回のコロナは、多くの人にとって「危機」が「自分事」になった出来事だったのではないかと思う。
自分は社会や経済とどう繋がっているのか、自分は自分の身をどう守ることができるのか、外の世界は自分をどう助けてくれるのか。自粛で立ち止まったわたしは、ひたすらに考えていた。

もうすぐ都知事選。少しは投票率が上がるだろうか。
それとも、また平和ボケに戻るのだろうか。