依存するという事

 自分の両親は、いわゆるギャンブル依存症です。
 もう何十年もやっているので、生活の一部になってるんでしょう。昔の、射幸性が著しく高く、儲けもあった頃が最盛期だったので、毎日ホールに行っては1~2万稼ぎ、負けることはほとんど無かったのも依存する原因でしょう。
 そんな両親と生活しているので、自然と自分もホールに行くことが多く、休みの日には(母親の移動手段が無いのも理由の一つではある)ホールへと通っている状態です。
 自分は彼らとは違う、と思いたいだけだと言われるかもしれませんが、自分はパチンコに対して反感があります。とはいえ、パチンコを打つこと、スロットを打つことは嫌いじゃありません。損得無しで打てるのであれば、割と楽しいと思っています。現に、スマホやタブレットのアプリは割と買っていたりします。それに、過去の4号機ならいざ知らず(4号機を知らない世代には信じられない世界だったからね)、5号機、6号機なんてとてもやってらんないよ、と常々説いていたんですが、辞めてもらうには至らなかったのです。
 某慈善団体の広告が、パチンコ屋の至る所で目につきます。
 新台のパンフレット、トイレの個室の壁、出入り口……「こんな事が当てはまる人は、連絡ください」と。
 連絡したところで治らないんですよ。自分が直そうと思わない限り。で、ギャンブル依存に関しては、自分が生活できていると、大したことないと思うんでしょうね。とても聞く耳なんて持ちませんし。
 とまあ、これは昨日行って、散々喧嘩したので勢いで出てくる愚痴なんですけども。

 依存するという事自体、悪いことなのかなあ、とは思います。依存する対象が善であれ悪であれ、自分を保つ材料になるのであれば、それはそれで必要なことだと思うんですが、ギャンブルの場合は身を亡ぼす可能性がある時点で割と厳しいですね。
 これが、恋人に依存する乙女の方々だとすると、それが生きていく希望だって言われますよね。言いませんか。あまり言わねえな、まあ言う前提で。
 依存が進むと、その相手に過分に干渉したくなって、相手にやきもち焼くどころか、憎しみに変わって殺意になって……とサスペンスドラマになっていくんですが。なりませんか。

 昨今のスマホ依存、薬物依存、ギャンブル依存、あれこれ様々ありますが。
 過ぎたるは猶及ばざるが如し、は、何事にも当てはまるようで……

書類がひと段落した週末、おっ放した台が五千枚出たもんで大喧嘩になった翌日に。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?