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鳴神隼のただ一人の為の推理 七話

七.第三章③:不安定な人間たち

「隼。この雨の中、外に出るのは危ないぞ」
「敷地内から出るわけではない」

 開け放たれた玄関扉から激しさが増す雨を眺めながら琉唯が隼を止めれば、「プレハブ小屋に行くだけだ」と彼は何でもないように返した。

 はぁっと思わず聞いてしまう。プレハブ小屋には隆史の遺体が置かれているのだから、そんな場所にどうして行くのかと問いたくなる。隼は確認のためとだけ言って傘をさして玄関を出たので、琉唯は慌てて追いかけた。

 風は少しばかり勢いを弱めているけれど、それでも酷い天候だ。靴を濡らしながらプレハブ小屋に向かえば、隼は何の躊躇いもなく扉を開けた。扉の少し奥に隆史の遺体は横たわり、顔には陽子のハンカチが被せられている。

 隼は何でもないかのようにハンカチを取って、隆史の頭を持ち上げた。後頭部が見えるように傾けられて琉唯は「何やってるんだ!」と思わず声を上げてしまう。

「何を? 殴られた痕を確認しているだけだが?」
「なんでそんなこと……」
「この感じは……これは鈍器で殴られたか」

 他殺の可能性があるのは理解していたが、隼ははっきりと断言していた。どうして殴られたと決めつけることができるのだろうか、琉唯は首を傾げる。

 スマートフォンのライトを照らしてくれと指示されて、琉唯はしぶしぶとポケットから取り出すと点灯させた。光に当たり殴られたような痕が露わになる。血は雨に洗い流されてしまっているが、傷口がなまめいてみえた。

 うっと琉唯は口元を押さえる。生々しい傷跡を間近で見てしまい、気持ち悪さがさらに込み上げてくるも、ぐっと堪えた。

「これは何度か殴られているな……。だいぶ酷い」
「何度かって……そんなの分かるもんなのか?」
「傷口の抉れ方をみれば、一度打っただけとは言い難いな。殴られたと思った理由は実物を見たことがあるからだ?」

 さらりと告げられて琉唯ははぁっと声が出た。何をそんな簡単に言っているのだ、この男は。どんな生活をすればそんなものを見る状況に陥るのだろうか、琉唯の頭には疑問符が浮かぶ。

「土木作業員の若者が酔った勢いで喧嘩になって殴ったところに居合わせただけだ」

 たまたま殴られた瞬間に立ち会ってしまい、介抱して頭を見てしまったのだという。その時の打撲痕によく似ているのだと隼は話す。

「ちなみにそれって事件になった?」
「殴られた若者は死亡し、殺人事件として処理されていたな」

 警察に目撃者として何度も話を聞かれたと思い出してか、疲れた表情をみせる。ただ、介抱しただけなのだがと。傷跡というのは意外と記憶に残るようで、「あの生々しい痕というのは脳にこびりつく」と隼は顔を顰めた。

 その傷跡に隆史のものが似ているのだという。再度、確認してから隼は持ち上げていた頭を置いて立ち上がった。

 これが他殺ならば凶器があるはずだ。犯人が持ち歩いているのか、それとも海に投げ捨てたのか。高台にあるこの別荘ならば海に投げ捨てるのは簡単だ、探すだけ無駄だろう。

 凶器かと琉唯は室内を見渡す。昨日、運んだ荷物が奥に詰まれているぐらいで特に変わった様子はない。あるとするなら草刈り鎌と工具ぐらいだろうかと、埃の被った箱に目を向けて琉唯はあれと気付く。

 昨日、工具箱の上にあったはずの金槌がないのだ。荷物を運ぶ時に転がったのだろうかと部屋を探してみるが見当たらない。その様子に隼が「どうした」と琉唯を呼んだ。

「いや、ここにあった金槌が無くなってるんだ」
「金槌? あぁ、確かにあったな……」
「あれって移動させたっけ?」
「俺の記憶にはないな」

 そもそも、金槌を使うような作業を昨日は行っていないと隼に指摘されて、琉唯も荷物を運んだだけだったと記憶していた。倉庫内を漁ったりもしていなかったので、金槌だけが無くなっているという現状に違和感を覚える。

 此処に無いということは誰かが持っていったということになるのだ。いったい何のために、どういった理由で。そこまで考えて琉唯は一つの可能性に行きつく。

「あのさ。此処にあった金槌が凶器って可能性はないか?」

 金槌ならば人の頭を殴って殺せなくはないのではないか、琉唯の推測に隼は「可能性はある」と答える。この場にあったものであれば、持ち運ぶ必要もないと。

「倉庫の隅で埃をかぶっていたものなのだから、無くなっていても気づかれないと考えることもできる。使った金槌は海に投げ捨てればいい」

 此処ならばそれが可能だと淡々と話す隼の口調は何処か推理めいていた。顎に手をやって工具箱と隆史の遺体を交互に見遣りながら。

 凶器の可能性があるだけで決まったわけではない。とはいうが、あったはずのものが無くなっているというのは不可思議だ。誰かが持ち去らないかぎりは此処に残っているはずで、無いということは――

「何をやってるんだ、君たちは!」
「あ、健司先輩」

 開いたプレハブ小屋の扉から訝しげに健司が顔を覗かせた。何をしていたのかと問われると、隆史の後頭部の傷を確認していたのだが、それを素直に言っていいのか悩ましい。

 不用心だ、勝手な行動をするな、不謹慎だなどと指摘されては何も言い返せないのだ。どうしようかと琉唯が隼を見ると彼は「場所を確認していただけですよ」と答えていた。

「崎沢隆史が倒れていた場所が何処だったか、彼の遺体に他に外傷がなかったかを確認していただけです。現状を再度、確認して警察が来た時に伝えられるために」

 事件を迅速に解決してもらうには状況を正確に伝える必要があるでしょうと隼に言われて、健司は確かにと納得したようにプレハブ小屋の地面を指さした。

「ここらへんだったよな、確か」
「えぇ、プレハブ小屋の前でした」
「で、地面は水浸しで、隆史くんは濡れてて……周囲には」
「何もなかった」

 見渡してみるけれど頭をぶつけて負傷するほどの障害物はない。草が生えてはいるけれど、庭ほどに伸び放題ではなかった。草の根をわけて確認するが小石はあれど、それ以外に何もない。

 プレハブ小屋の扉の前は水溜りで土がぬかるんでいるだけだ。打ちどころが悪くてというのは少々、苦しいかもしれない。

「隆史くんは……」
「あの、健司先輩。倉庫から何か持ち出しましたか?」
「え? 僕は持ち出してないけど」

 琉唯の問いに倉庫に荷物を詰めこんだけれど持ち出していないと健司ははっきりと答える。彼が嘘をついていないのであれば、他の誰かが持ち出したのかもしれない。

「何か無くなってたのかい?」
「あー、金槌がないなぁと……」
「他に誰か立ち入った人に覚えはないだろうか?」
「うーん、僕はないかな」

 誰かが此処に入っても裏手だから気づかないかもしれないと言われて、琉唯も夜なら尚更、分からないだろうなと思う。寝静まった後ならば特に。

 現状を再度、確認してみて琉唯はこれは殺人事件なのではないだろうかと感じた。確信があるわけではないけれど、事故死にはどうも見えない。あったものが無くなっているという状況も気持ちが悪くて。

「ひとまず、現状は再確認できたし戻ろうか」

 これ以上は出てこないだろと健司に言われ、彼に連れられるようにしてプレハブ小屋から出た。外はまだ雨が降っていて、弱まる気配が感じられない。風もまだまだ勢いがあって、傘などあってないようなものだ。

 濡れてしまったと傘をたたみながら琉唯が玄関にたてかけて隼を見遣れば、彼は何か思案するように遠くを眺めていた。

「隼?」
「……なんだろうか、琉唯」
「いや、こっちが聞きたいんだが?」

 なんか考えてたみたいだったからと琉唯が聞けば、隼は少し間を置いてから「なんでもない」と答えた。

「確証もない状態で発言するのは不安を煽るだけなのだろう?」
「え? まぁ、そうだけど……」
「琉唯を怖がらせたくはない」

 それはなんでもないということではないのではないだろうか。と、琉唯は突っ込みたかったけれど、隼がリビングルームへと歩いていってしまった。

   ***

 人が居るというのに話し声もせず、静か。ごうごうと荒れる風の音だけがリビングルームに響く室内は居心地が悪い。皆が皆、不安を、恐怖を抱いているのだから気分が良いわけもなかった。

 正午も過ぎて昼食を取るも、誰も喋ることはしない。無言で食べるか、食欲がないと口に付けないかだ。皆、少なからず警戒しているのはその態度だけで分かることだった。

 部屋に閉じこもっている香苗以外は皆、リビングルームに集まっていた。一人でいるよりかは安心できるからだろう。琉唯も部屋に籠っているよりかはいいと、リビングルームに居座っている。

 段ボールを椅子代わりにしながら皆の様子を観察すれば、健司はずっと窓から外を眺め、辰則は何をするでもなく壁に寄り掛かっていた。陽子はダイニングテーブルの椅子に座って手で顔を覆い、優子はトレーの上に昼食を並べている。

 千鶴はずっと浩也の傍から離れず、隼も口を開くことはない。ずっと黙っているというのは辛いなと琉唯は小さく息を吐く。

「あの、辰則くん。香苗ちゃんに昼食を持っていってくれないかな?」

 トレーを持った優子が申し訳なさげに辰則を呼んだ。自分はもう少し陽子の傍にいてあげたいからと。

「同じ学科で知った顔なの、辰則くんだけだし……」
「わかりました」

 辰則がトレーを受け取ると、「ごめんなさいね、ありがとう」と優子はリビングルームの扉を開いた。出ていく彼を見送ってから優子はぎゅっと手を握る、安心させるように。

 そんな彼女に千鶴が「大丈夫ですか?」と声をかける。見て分かるほどに優子は震えていたのだ。流石に心配になると千鶴が言えば、「大丈夫よ」と笑えていない顔を彼女は見せた。

「私はいいの……私なんかは……そう、私は……」
「えっと……」
「あ、あぁ、気にしないで。私なんかよりも、陽子のほうが辛いと思うから……」
「恋人ですもんね……」
「えぇ……」

 恋人が死んだ、それも殺されたかもしれないのだ。犯人が潜んでいる恐怖だけでなく、大切な人がいなくなったというショックもある。現実を受け入れられなくて、落ち着くこともできず、胸が痛む。それは他人には理解できない苦しさだ。

 どんな言葉をかけても意味はなく、気持ちを和らげさせることは難しい。励ましたくても、逆効果となってしまうかもしれない。なんと声をかければ良いのか分からず、何もできないもどかしさに優子は目を伏せた。

「私も怖いの、怖い……。でも、私が……」
「無理しないでください。今は警察が来るのを待ちましょう」

 自分たちに何かできるわけではないのだからと千鶴に言われて、優子はそれもそうよねと頷く。警察が来れば隆史が事故死なのな、他殺なのか調べてくれるはずだ。犯人も見つけてくれると。

「優子さん、少し聞きたいことがあるのだが」

 何の前触れもなく二人の会話に割って入った隼に琉唯は何をと顔を上げた。隼は相変わらず読めない瞳を優子に向ける。

「……私に、聞きたいこと?」
「あぁ。少し良いだろうか?」
「大丈夫だけど……」

 聞きたいこととはと首を傾げる優子を連れて隼がリビングルームから出て行ったので、気になった琉唯も二人に着いていく。二階に上がる階段のところで立ち止まった隼は優子に「崎沢隆史についてだが」と質問を口にした。

「彼は誰かに恨まれるような人物だったのだろうか?」
「それは……」

 突然のことに優子は眉を下げて琉唯を見た。いきなりそんな質問をされたらそういった反応になってしまうよなと、琉唯が「どうしたんだ、隼」と質問の意図を聞く。

 隼は「死亡した人物の人間関係というのは事件を解決するために必要なものだ」と答えた。これがもし、他殺ならば殺された原因といのがあるはずだ。無差別殺人を除けば、人間関係などから導くことはできると。

「貴女は陽子さんと一番近い存在だ。彼女の恋人である隆史を見ているならば、何か知っていることがあるのでは?」

 陽子から何か話を聞いていないか、あるいは隆史と接していて感じたことはないか。隼は「些細なことでいい」と思い出してくれないかと問う。

 優子はそうは言われてもと眉を寄せる。琉唯は困らせてしまっているなと「やめておけって」と隼を小突く。

「急に言われても困るだけだろ」
「必要だから質問しているだけだが?」
「お前な、時と場合を考えて……」
「その、ね……隆史くん、同学科の生徒からはあまり良い印象はなかったみたい」

 何かと馴れ馴れしく、女子に目移りしたりと、その距離感とノリに少なからず嫌悪を抱いていた人間はいたようだ。軽い口調というのは軽薄に感じられるということだろう。

 女子に目移りと聞いて琉唯は隆史が千鶴のことを「かわいい」と気になっていたなと話していたのを思い出した。

「私もね、その……陽子に大丈夫なの? って聞いたの。でも、大丈夫だって言うから……」
「なるほど」

 優子も隆史の印象を見て心配はしていたようだが、陽子に大丈夫だと言われて安心していたと話してくれた。周囲からの評判は悪いかもしれないが、付き合っている陽子がそう言うならと。

「昨日、佐々木さんが崎沢隆史と話をしていたと陽子さんが証言したが、声などは聞こえていなかっただろうか?」

「え? ……兄さんと話していたから……気づかなかったかな」

 声は聞いていなかったが、香苗がバイトに関して不満を抱いていたのを知って、優子は「私からもちゃんと説明してあげればよかったわ」と申し訳なさげだ。

 隆史からどう聞いていたかは知らないが、内容と違うことをやらされていたのだ。汚れ作業などしたくなかったのだから、やりたくないことをさせてしまったという罪悪感を抱いている様子だった。

「あの、もういいかしら?」
「あぁ、大丈夫だ。ありがとう」

 陽子が心配だからと優子はリビングルームへと戻っていくその背を見送った琉唯はじとりと隼に目を向けた。彼はなんでもないように顎に手を当てる。

「お前さ、時と場合を考えたほうがいい」
「必要な情報だろう?」
「そうかもしれないけれど、優子さんは怖がっていたんだぞ。それにこういうのは警察が来た後でもいいだろ」

 事件の捜査は警察に任せるべきだと琉唯が注意すれば、隼は「いつ来るかもわからないというのにか?」と返してきた。

 嵐のような天候は治まる気配が見えない。この状況では道を塞ぐ木など退かす作業はできないというのは想像ができる。閉じ込められた状況というのは犯人とて同じだ。

 また誰かが殺される可能性だってある現状で大人しく待っていることができる人間がどれほどいるだろうか。隼の指摘に琉唯は言い返そうにもできなかった。皆、口に出さないだけで落ち着いてなどいない。

「でも、相手の気持ちぐらい考えろよ。あと、探偵まがいなことするなって言われてただろ」
「別に探偵まがいなことなどしていない。琉唯のために動いているだけだ」「おれのためって、お前さ……」

 またでたよと琉唯が「別におれのことは気にしなくて」と言い返そうとして――ガシャンと物が落ちる音が響く。

 二階から聞こえた音に琉唯が階段を見上げれば、「しつこいのよ!」という怒声に隼が上っていった。慌てて駆け上げれば、廊下にトレーが落ち、昼食として出していたレトルト食品が無残にも散らばっている。

「あんたでしょ、隆史先輩を殺したの!」
「違うっ」
「嘘つくな! わたしに振られたからって自棄でも起こしたんでしょ!」

 知ってるんだからねと香苗は興奮したように辰則の胸倉を掴む。わたしのことが諦められなく着いてきたこと、隆史に良い印象を抱いていないことをと、涙を溜めた瞳で睨みながら叫ぶ。

 彼女の主張に辰則は「違う」と反論しているが、聞く耳を持ってはくれない。さんざんと罵倒を口に出してから、香苗は床に転がったペットボトルの飲料水だけを掴んで、彼を突き飛ばすと部屋に閉じこもった。

 ばたんと強く閉まる扉から拒絶が伝わってくる。辰則はノックをしようとした手を止めて、床に散らばったトレーを片付け始めた。一連の光景に暫し固まっていた琉唯ははっと我に返って、「大丈夫か?」と声をかける。

「あ、先輩」
「片付けるの手伝うよ」
「いいです。先輩たちは優子先輩に伝えてきてください」

 それだけ言って辰則は黙ってしまい、琉唯は仕方なく彼に指示された通りに優子に報告しにいくために階段を下りていくと隼がぽつりと呟く。

「彼は佐々木さんに好意があったのか」

 なんだと振り返れば、隼はすっと目を細めて思考の海へと落ちている。また何かやるのかと琉唯は「変な事を聞くなよ」と釘をしておく。

 通じているのか、いないのか。隼の「あぁ」という適当な返答に琉唯はもういいやと突っ込むのを止めた。

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