井の中で失敗させるのか?ほぼ愚痴

ちょっと聞いてほしい。もやもやが過ぎる。

私は自分の今やってる仕事、入りたては全くの素人での入社だった。いわゆる総合建築系で、システム分野としての活躍に寄与するためにやってきた、IT屋だった。
IT屋はこの手の業界、しかも地方だと割と重宝される穴場なのはなんとなく理解していたし、それを狙って(あと親父がその当時大絶賛大腸ガン闘病中)Uターンしたわけ。
最初は叔父さんたちのしょうもないパソコン関係のトラブル対応だったわよ、もちろん。印刷できない、ダウンロードしたデータどこ?Excelのリボンが消えた、等。でもそんなこともわからないのが普通だし、実は大学でも似たような対応事をしたことがあるから、専門外はまったくの素人っていう素性はわかってるわけ。
わかってるし、私だってこれが夢の延長線に関係のない、畑違いの就職だったのも分かってる。ただし、親父は中間管理職の、大手電機関係のサラリーマンだったのさ。親父は立派だったと信じて疑わないし、そんな親父を誇りに思ってた自分がいる。禁句質問の親父と母親どっちが好き?に対して回答するなら、母親は哀れなほど優しく、愛情が深く、やめちまえば楽になすのに人に尽くすのを辞めない部分で尊敬するし、親父は責任感が強く、正しくあろうと努力し、かつ頼まれごとはちゃんとやろうとしてしまう点で尊敬している。二人は人生の先輩だったけど、今だからそう言ってる。恨んでないと言えば嘘になる。
大人って感情が複雑でしんどいな。認めて許すのも、一生許さないのも抱えて生きる。
そんな明るくもない、希望も消え失せた私の生きるべき道なんて、正直どうでもよくて、意味もなくて、今を凌ぐための選択肢に入ってただけだった。

それが入社当時の感情と状況だった。
人手が少ない状態だった私が、社内をうろついてトラブル対応をしていくのは部にとってどうとかはあんまり考えてなかったと思う。叱られる機会があまり記憶には薄かったけど、少なからず部にとって迷惑な言動をしたことはいっぱいあったろう。井の中の蛙が外に出て、迷惑をかけて、後から叱られる。

とにかく、バッターに立たせてもらえる機会があったのかもしれなかった。それに結局良い働きがなくて、終いには表に出させて貰えなくなったのも。

そこから島流し、じゃなくて部署移動。思いもよらない転機ともなったが、そこから今の私がある。ちゃんと頑張ったし、嫌いな人間との関りも克服というより、せめて迷惑のないような程度に気を使ったし、関わったことはちゃんとやることを心掛けた、つもりだった。だからの今だと思う。人間と交流が嫌いなくせに、キャラクターが濃ゆいせいか、面白がって表に立つ、が割と板についた。演じるのは好きだし、司会・進行ってのは脚本があって目的が明確だから、困ることがない。グループワーキングも評価のある方だった。私の本当に苦手なものは、何の目的もない会話だ。そこをコミュニケーションだと思ってたもんだから、分野別で出来る交流形態があることを知った。それとなく得意だったことも、理解した。

さて、今私がもやもやしていることの話をしよう。

私の後輩は今年で三人になった。一年に一人ずつというペースで入ってきたのだが、今もやもやしているのは一番下の後輩の育て方に、部の人と齟齬があることだ。

過去の私は、出来てない人間だった。出来てないというのは、入るまでに身に着けておけよってことがことごとく壊滅的で、「あいさつ」、「ほうれんそう」、「せいかぶつ」、「けっか」というものが判ってなかったし、そもそもこの業界で何を成し遂げたいのかなんて、ココ二、三年でやっと浮き出してきたくらいだ。
そんな明確に人生決められるか? あまりにも家庭のゴタゴタに耐えるだけで精いっぱいだったのが、今更自分の本当にやりたいことなんか、考えられるか? 私の本当に好きなことはお絵かきと歌だ。畑が違う。
だから、別に入社した子らがうっす~い目的意識で入ってきたとしても別にどうとも思わないし、人に迷惑かけないとか、一生懸命するためにどうしたらいいかって工夫をこらす程度の努力が見えれば良いと思ってるし、外部で失敗するのも当たり前だと思ってる。

その、「外の失敗」を許せない雰囲気が出来てきてて、ちょっとうざい。

ちょっとどころじゃない、かなりうざい。これでも私は副主任として後輩の指導を承ってたと思ってたから、私の「ごめんなさい」と「今後は」という戦いが出来なかったら、私がもはや成長できないじゃん。しなくていいってことなんかな。そこはあまり期待してないってことなのか。

今年入社じゃないほうの後輩が、所謂エリートだからかな。目立った失敗もなく、(知らんけど)目的も明確で、ぼやっとしている人らをある意味、軽蔑・・・している? 岡田斗司夫さんが言ってたもんな、「優秀な人は能力がない人を、障碍者よりも軽蔑する」って。そんな匂いがしてきてて、正直居心地が悪い。居心地が悪くて無意識に、喉元の皮膚をつまんでしまう癖が発動してたっぽくて、知らん間に赤くなっててびっくりしてた。

まあ、私は「おちこぼれ」経験者だったから、いい加減な生き方だって迷惑かからない限りはそいつの責任として、干渉しないしな。
という私は、よく分からなかった中間管理職向きの研修を思い出して、後輩と関わっている。上司と部下の関係性を表した図式に、「A:向かい合う」「B:同じ方向を同じ視点で向いてみる」「C:後ろから同じ方向を向く」「D:後ろから着いて来るよう指導する」という絵を思い出している。
おすすめされたのは、BとCだった。B:ある事象に対して俯瞰的に見る際に、一緒に同じ事象を見て、同じ目線に立って一緒に考える。「ブラザー教育」ものだったけど、今の後輩はそれが良いと思っている。同じ仕事を分担して、出来ることを任せて、もしくは出来ていないことを「おいお前!」とか言いながらも一緒に成果物を作り上げてゆく。決して取り上げたり引き継がせたりしない。てか、ツールが一人しか使っちゃいけないからできない()
これが別の人になると、なんか違うみたいだ。出来たものを見てあーだこうだと言う、なんか品質監査人みたいな立ち位置の人らが多くて。

今書いてるだけで喉がつっかえてくるんだけど、本当に体に悪い。在宅か、席を離してもらえないかな。〇〇〇〇〇部、嫌い。
こんなの、出来て当たり前なことが出来ない人を責めるだけの人間しか集まらないじゃん。専門性が高くて敵が多くて社内でも困ってるくせに、これ以上敵を増やすようなこと、自らが招いていることを理解できてなくないか?ただの「人員配置」だったのなら、私ももはや外していいよ。
この前だって、私が専門性が高いからもっと寄り添ってとは言われたけど、じゃあ同じ部内で、しかもその私だけが関わってたわけでもないことなのに、私に寄り添って仕事してくれる人はいないってことだよね。そいつらは成長しなくて良いと、そいつらのために身を切り売りしろと、そう言われたのと同義だよね。冷たい部だな。

私の入社した当時のPR「弱い立場の人の味方になる」ポリシーに反している。

は~、しんどくて、〇○○本当は出たくなかったよ。断るとほかの人に迷惑がかかるから、我慢したけどさ。今回で見納めさ、なんとか距離を置く方法を考えるとするか。これ以上は、私が変わったって意味がない。

就活・・・本当に好きなこと、追いかけた方が良いのかな。この業界で、そこまでまだ有名なつもりはないけど、そこそこ顔が割れてきてしまっている。流石に同じ業界にいたくない。
どうしようか?

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