入口出口。

「そんなことあったっけ?」
と言われると、まず自分の記憶を疑ってしまう。
夢だったのか。はたまた時間の経過のまま鮮やかに捏造してしまったのか。
最早、映画か何かをすり替えてしまったのか。
まず、自分を疑ってしまう癖が抜けない。
記憶の中で未だに残っているあの健気な少女すら作り上げたものだったとしたら、これほど悲しい事はない。

「デッサンは上手く描く為にする作業ではなく、如何に見えていないかを自覚する作業だ」という言葉を見た。
とてもしっくり来たので此処で引用させてもらった。
それは何事にも通ずるなぁと思う。
見えている景色や表情、発する言葉、紡ぐ言葉。
目から脳へ、脳から指先へ伝達される間、絶対的だと疑う余地もない自分という感覚が何重という層によって変形されているという事。
デッサンを繰り返す事によって、そのギャップは多少埋められるんだろう。
その精度はやっぱり高めたい所。
そういう所が多々自覚症状として明るみになってきたから。

今夜、久しぶりに思い付きで行動する。
自分の思い付きを応援したり、自分の記憶を信じてあげたいのよ。

行きましょう、弾丸東京。

8月28日。

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