魚。
「私は正しい」という思いを抱く事は大いに結構、ただそれが他人のスタンダードとイコールでは無い。
別に悲しい思いをしたわけでは無いのに、こんなことを書き記す。
というのも、なんというかどんな偉人であれ憧れた人であれ思考というのは何処かしらに偏っているんだなと、秋風の柔らかい肌触りの様に脳内を流れていった。
全く同じ経験をして同じ時を過ごしていようが、同じ系譜を辿っている生物など恐らく居ないだろう。
だから、その血なり細胞というフィルターを通ってドリップされた何かしらは唯一のモノで希少なモノ。
それを提供して美味いと言う人もいれば、その香りだけで眉をひそめる人もいる。
最初は人通りの少ない場所から始まるだろうから、そのアクションの一つ一つが骨身に沁みてしまい
そして、その事に心を痛め店を畳み日本海の荒波に一式を放り投げてポツリ「・・・田舎に帰ろう。」と俯いてしまう。
往々にして、そういった形で立ち止まってしまうこともしばしば。
てやんでぇ!と、そこから一念発起したおじさんは、釣竿を手に取って毎日毎日荒波に立ち向かい、飛沫と潮風で髪はパリパリのアフロになり、一張羅のオーバーオールも良い感じに日焼けし始めたある朝、魚と喋れる能力を手に入れた。なんていう逸話も聞いたことがある。
そんな経験はなかなか出来ないけれど、大なり小なりそういう事なんだと思う。
とても普遍的な事象であれ全てが唯一。その積み重ねで見えている世界は唯一。
「思い出が煩わしいな」とフラッシュバックに悶えていたけれど、それって誰も知らんのよね。
今日の締め括りの正解が見つからないけど、それは僕だけなのかも知れないね。
9月30日。
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