30時の散文。

色んな出来事をすっ飛ばして、記す。

何年か振りに訪れた「うつうつタイム」にものの見事にやられていた6月。

昨年末から歯車が噛み合いすぎていたのか、はたまたご無理をなさっていたのかは最早論点にもあげられないトピックであり、

ミュージシャンとしてではなくミュージシャンとして培ってきたであろう僅かな蓄えでもってアウトプットを別のフィールドに変え、過ごしてきたこの一年は隠れ蓑として最適だった。言い方に語弊は覚悟の上で。

とはいえ、ギターをカメラに持ち替えDAWソフトではなく編集ソフトを立ち上げる毎日は詰まりに詰まったアウトプットの管を循環させるにはとても重要な経験であることは間違いない。

お仕事として依頼を受ける事も増え、その責任感たるや自分の培ってきたうんぬんかんぬんを馳せる事よりも何倍にも重くのしかかっている。

今だけの感覚かもしれないが、若干筋トレジムニクスのそれに近いメンタル感がある。


「音楽になりたい」そういった節を今まで何度か耳にしてきた。

それを真に思い、馳せる人たちを羨ましく思い、格好良いと思い

ただ「音楽になる」という感覚は今ひとつ掴めていなかった。実感としてそこに無かった。

「歌を歌う」ことが「音楽になる」ということではなく「楽器を演奏」すれば「音楽になる」わけでもない。

抽象的でそれを言語化出来るものでもなく、するものでもなく

そう感じた人間にしかわからない感覚なんだろう。

なぜ急にこの散文を記そうと思ったのか。

多少、アルカホリックしているせいもあるだろうが、今一瞬「音楽になった」

私の主観であるが「音楽=リズム」という視界が拡がった。

波紋だと。そこに落とした音が拡がる、その波紋を漂う。

美しい旋律もリズムがなければ成立しない。否、リズムが美しい旋律まで連れて行ってくれる。んん。。。どうだろう。。

あくまで散文。

この感覚がアルカホリックの賜物だったとしても、その旋律を残せただけ良くやったと言えましょう。


今調べたけれど、アルカホリックは誤用でした。

ただビールを飲みながらチキチキしてるだけのともでぃでした。

あぁ、散文。

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