拝啓、阪急電車にて。

「そういうとこやで」
場面場面によって、言葉が纏う意味合いは変わってくる。
テレビや何某で流行った言葉が、僕達の生活にも馴染んで飛び交うようになる事は往々にある。
最近で言えば「忖度」。流行語にもなったね。誰か教えて。その使い方。石を投げれば忖度状態です。マジ卍。

そして、それが生活に馴染んで色々な場面で応用され使われる事で定着していくもの、廃れていくのもまた言葉。
最初は面白くて使われていっても段々と用途がスライドして意味が付け加えられていく。
これも価値観と言えば済んでしまう事だし、自分にも言える事だけど。

冒頭のワードが、僕はどうも受け付けない。
乱発されるこのワードがどうも受け付けない。頭がッポーンとなる。
ユーモアとして使われている分には、とても冴えたワードだと思うのだけども、
省略されてしまっている部分が多過ぎるように思う。
つまり「そういうとこ」とは「どういうとこ」なのか。
その後のフォローなくしてそこだけをツッコむというのはバラエティだから成り立つものだと思う。つまりはユーモアのある言葉だと思ってる。
偏った思いが「そういうとこ」なのか、ウダウダと捏ねくり回す事が「そういうとこ」なのか、小さな声が「そういうとこ」なのか、存在自体が「そういうとこ」なのか。
ミスをミスとして宙ぶらりんにするではなく、絡まったモノを解いていけるなら、そうしたい。それがコミュニケーションだと思うのだけども。
その先が大事、そう思う。
まぁこれも僕の価値観。

その人が面白かったら、別にそれでもいい。
だけど、それを使用して「俺がスベったみたいやん」的な事を言われても、そうスベったの。
僕はその言葉で拡がった波紋を見たいの。その先、どう効果して拡がっていくのか。
だから、メンドくさそうにしないで。その先が僕の好奇心。
波紋が止まるまで眺めていようよ。
そして、また波紋を作り続けようよ。
そんな話がしたいね。

ここで一言、自分に言ってやりたい言葉が見つかった。

「そういうとこやで」

4月30日。

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