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寝しなPTOLEMYが止まらぬ

はじめに

寝しな。寝る前におふとんでひとりホッとする時間。みんな何してる?オレ最近毎日おんなじ動画観てる。んで毎日ツイートしてんの。こんな感じで。

Diggy-MO'ってアーティストの『PTOLEMY』て曲のMV。いいよね。知らなかったら観てみて。

観た?
良くないですか?どう?ねえ?どうだった?ねえねえ?どうどうどう?

…圧。そういうとこだよお前。

もうホントに毎日毎日ツイートしてたら、とあるフォロワーさんに「PTOLEMYのどこがそんなに好きなの?」って聞かれた。
うーん、そりゃそうだよね。たぶん3カ月くらい毎日毎日ツイートしてるもんね。ちょっと狂気じゃん?気になる木だよねぇ。

んで自分でもかーなりヤバいんじゃない?と思ったので、こーやって文章にして整理してみよっかな?と、思った次第です。

『PTOLEMY』前夜

まずは『PTOLEMY』に出会うまでを話すね。

2022年6月末のトレンドで『SOUL'd OUT』が1位になったの憶えてる?スタバの期間限定商品が売り切れたのを『SOUL'd OUT』って誤変換してたり、ぬまんづって芸人さんのコントへの反応だったりでトレンド入りしちゃったってヤツ。
あのときなんでトレンド入りしてるのか分からなくて色々検索してた人いたよね?私もそのひとり。
で、スタバとぬまんづじゃない?という結論出た後もYouTubeさんは3XLの昔話をオススメしてくれた。たぶんぬまんづ見たからだね。基本的にYouTubeさんのオススメには従う質なので観てみた。なんかよくわかんないけど面白かった。元ネタ知りたくて本家のMVを観てみた。最初は『COZMIC TRAVEL』だったね。

「うん、曲は悪くないよね。でも、このMVのセンスなんなんだろ…?」

てなったよね。ジャケがなんやかんや言われてたのは知ってたけど。
でもそこはジャニオタ、こういうトンチキには人一倍耐性がある。じゃなきゃ牛若丸がフライングして歌ってるところ真面目な顔して観れないだろ?て話。だからすぐ慣れたよね。うん、いいMVだよ。

てかMVだと歌詞がわかんないや、とSpotifyさんで聴いてみた。凄いな、全然歌詞聞き取れてなかった。てか聞き取れたところで意味わかんないよなコレ。
でもそこはジャニオタ、珍妙な歌詞にも人一倍耐性がある。『男と女の愛(ラブ)と書いて「革命」と読む』と言われたらそうだよね革命って読むよねってなる。だからすぐ慣れた。でもまあなんかご陽気に聴けるからいいよな。メンバーもジャケだと強面な感じだけど、動画だと案外親しみやすい感じだしな。

この時点でSOUL'd OUTは私の中で「知ってるけど曲とかよくわかんないな」から「CD買うほどではないけど好きかも(サブスクでは聴くよ)」なアーティストになった。

いよいよ『PTOLEMY』と出会う


そんな訳でSOUL'd OUTにたどり着いたんだけど、解散してること、んで今もそれぞれ音楽活動してるらしいこともこの時点で知った。
とりあえずメンバーのツイッターフォローしてみた。ツイートに人の良さにじみ出てんな。てか一番目立ってたお兄ちゃん全然更新してないな…生きてるよね?
そういえばYouTubeでSOUL'd OUTで検索かけた時ソロのMV出てきてたような…ちょっと観てみるか…『Diggy-MO'』な。うん。あ、公式チャンネルあるね。お、これ新しいっぽい感じか?


ん…?
んん…?
んんん…?

いやいやいやいや、どしたどした!?

ガッツリど正面からかっこいいじゃん!

思ってたのと全然違うのよ…でも凄ぇいいよコレ…

なんか…エライもんに出会ってしまったかもしんない…

そっからはもう怒涛の勢いだったね。
歌詞検索して歌詞の考察読んで、『BEWITCHED』聴いて「先生、」にやられ、他のソロアルバム聴いて、色んなインタビュー読んで、それでも足りなくて『帽子の中身』が読みたくてCLUB D(ファンクラブ)入った。
それが2022年7月9日までの出来事。
この時点では円盤1枚も買ってない。それでもファンクラブ入ることに躊躇は無かったなぁ。

ちなみにオッサンになったDiggy-MO'の顔がとんでもなく自分好みなことに気がつくのはファンクラブ入会後のことだったりする。
まったく一生の不覚だよ。

どこがそんなにいいんだろ?

まあぶっちゃけ出会いの衝撃に引きずられてるところはあると思うんだけど、それだけでこんな毎日毎日観ますかね?てのは自分でも思うよ。うん。
なのでPTOLEMYのここが凄いなって思ったポイントちょっと挙げてみようかな。

音のすごいとこ


琳派って知ってる?尾形光琳が始めた日本画の流派の1つなんだけど。
描く対象以外の情報(背景とかね)を極力カット。なんなら対象も簡素化しちゃう。でもちゃんと何が描かれているのかわかる、そういうギリギリのところを突いてくる訳。
尾形光琳の燕子花図(かきつばたず)とかかっこいいよね。でもこれ配置がめちゃくちゃ難しいと思う。少しでも違ったら絵としての完成度が変わっちゃう危うさがある。

で、PTOLEMYだけども。対象である言葉の重さを際立たせるためにぐぐっと音数を搾って厳選してんのかな。オラぁ素人だから専門的なことは言えないけども、琳派の絵みたいにもうこれ以上ないという配置で構成された曲なんじゃないかなーと思う。これ作ってた時のDiggy-MO'は庭の満開の朝顔全部切り落として一輪だけ床の間に飾ったりしてたんじゃない?…あ、これ光琳じゃねえわ利休だわ。でもまあそんな感じよ。ね?

こういうさ、奇跡的なバランスで構成されたものってのはさっき言った燕子花図みたいに少し配置がずれるだけで作品そのものが全く変わってきちゃう。下手したら作品そのものが成り立たなくなることだってあるよね。なんというか、そーゆー危うさ?脆さ?みたいなのがさ、この曲に緊張感を与えてるんだと思う。んでもってこの緊張感こそが何度も聴きたくなるポイントなんじゃないかなー、と。何度聴いてもダレないっていうのかな?聴く側もピリッとするんだよね毎回。

もうホント最初に聴いた時にね、この曲完璧だな!「ずっと聴こえてた音を再現しただけですよ」って言われたら鵜呑みにしちゃうな、と思ったのよ。夢十夜の運慶が木から仏像を彫ってるのと同じような感覚で作られてそうって。
プラトンのイデア論てさ、すごーくざっくり説明すると、この世にあるものは全部神が本質(イデア)を作ってて人間はそれを受け取って真似っこ(ミメーシス)してるんだよー(間違ってたらゴメン)ていうのがあるんだけど、それっぽいって言うか…
なんかコレが頭ん中にあって『GOD SONG』盛大に読み間違えちゃったりしたね…
そして今はDiggyのミメーシスはアリストテレス的なそれ(ただの模倣じゃない!人間側の創意工夫だって入ってるわ!てやつ)じゃない?と思ってるよ。まんま形にするようなヤワなヤツじゃないよな…

言葉のすごいとこ

先ずもう歌詞がほとんど聞き取れないし、歌詞見たところでほとんど意味わからんな…てなった。オレ英語超絶苦手マンだし。頭に浮かぶのは「なんか色々敵がいる人なんすかね?」「スコラー?スコラ学かな?学者なのか?」くらい…
そんな時に救世主が現れたんですよ…
Google先生のおかげで巡り会えました…ありがとう…


いやもうこれ読み解ける人いるんだ凄っ!てのが最初の感想。このブログ読めば意味の解説は要らないと思うので細かい説明はすっ飛ばすね。

まあ要は天動説が主流の時代に地動説を唱えた学者達に自身をなぞらえてる訳だよね。
そういう自分(の生きざま)を誰かになぞらえてる歌って結構あると思うんだけど、例えばコレとか…

エレファントカシマシの『歴史』って曲。名曲。
後半は宮本先生のこーありたいって願いだけど、前半のトンガリ具合とか出世栄達を望む姿とかは宮本先生とダブるよな。

『歴史』と『PTOLEMY』は同じく過去の人物と自分とを重ね合わせて歌ってる訳だけど、圧倒的に違うのは『歴史』は「希望の歌」で『PTOLEMY』は「絶望の歌」ってことかな。

野心家だった鴎外は軍医として出世していくけど結局出世コースから外れてしまうんだよね。でもそっからが小説家としての本番だった訳。こりゃ宮本先生でなくても「挫折しても本当に輝けるのはこれからかもしれない」って希望を抱くんじゃない?

一方『PTOLEMY』クンですよ…
まあね、結果論として地動説を唱えた学者の方が正しかったと今は評価されてるけども。当時はどうだったか?って話。全然評価されないどころか、やべぇヤツ認定ですよ。「マルの外側から」見れたらそりゃ一発で解決だけど当時の技術ではできる訳もないし、「あしたなら神」て言うけどさ、それはいつ来るのやら。来ない可能性だってある訳で。でもせめて「夢みたいな」なんだよね。そう夢想することで自分を慰めてるってことじゃんね。
そーゆー人達と自分をなぞらえるって、まあなんつーか…キッツいよねぇ…

そんなキツい思いするなら辞めりゃあいいのになってパンピは思っちゃうけど、それでもなんやかんや続けてる訳じゃん?音楽を。
結局音楽を愛してやまない人なんだよなぁ。と同時に音楽からも愛されてる人なんだろうな。この相思相愛はホントね…どんなに離れようとしても何年かかっても必ず音楽に戻ってくるからなぁ…Theピーズのはるとか元ミッシェルのアベフトシとか早川義夫とか…
なんか音楽からの愛、というよりは音楽に執着されてるって感じだよねぇ…怖っ…
で、こういう人って大概音楽から執着されてる自覚ないと思うんだけど、Diggy-MO'に関しては自覚してんじゃないかな…いや、言い切りでいいな、Diggy-MO'は自分が音楽から執着されてるのを自覚してるんだよ。そう考えると『PTOLEMY』って楽曲から
「音楽を作る限りこれからも辛い思いをしなきゃならないだろうけれど、音楽を作ることを辞められないのであれば、それを受け入れて生きるしかない。」
そういう覚悟と、ある種の諦めとを感じてしまうんだよな。
『帽子の中身』で運命を変えようとするか受け入れるかって質問に「俄然受け入れていきます」って答えてて、ちょっと意外な感じしたけど、抗いきれるもんじゃないってわかってるからなんだろうな、と。ならやりきるしかないよな、てことなのかな。

だからまあ最初この歌は「絶望の歌」って書いたけども、ただ絶望するってことではなくて、「変えることが困難な絶望的な状況の中で、それでも託されたものを全うするのが自分の役目であり、そうと分かったらやりきるしかない」っていう覚悟(と諦め)の歌なんだろな。

あとこれは蛇足だけど、アウトロめっちゃ長いじゃない?ここはDiggy-MO'が言葉を失った(死んでしまった)後の世界なのかなーと思ってんだけど、ここ、「このような言葉を紡げるのは自分以外にはおらぬ」ぐらいの強いアレがあると、ね、いいなー、と…個人的な願望DETHね…

映像のすごいとこ

MVなんだから映像にももちろん触れますがな。ってことで。
最初観た時はとにかく「かっこいい…!!!」しかなかった(人間こーゆー時は語彙力かなぐり捨てちゃうよね)けども、何度も観るうちにこーゆーことかも、と思ったことを書くね。

まずは登場人物。ダンサーの2人(仮に「IN」くんと「OUT」くんとしようか)とDiggy-MO'。シンプルだね。
Diggy-MO'は終始薄暗いトンネルのようなところにいるし、ダンサー2人はまた別のだだっ広い空間にいる。
トンネルっていうのは基本的に入り口と出口って決まってないよね?入ったところが入り口で出たところが出口になるでしょ?「IN」くんと「OUT」くんが複雑に絡み合いながらダンスしてるのって「IN」でもあり「OUT」でもある場所(トンネルの出入口)を表しているのかな?と。
一方Diggyのいる薄暗いトンネルはどこなのか?これは地動説を唱えた学者達の歩んだ道、とも取れるけど、やっぱDiggyが音楽と共に歩んだ道なのかなぁと思う。入った場所からも遠ざかり引き返すことも難しく、でも前に進んでも先は見えないっていう…
独り静かに佇むDiggyと絶えず動くダンサー2人との対比がまた緊張感を生んでるよね。
さて、この「IN」くんと「OUT」くんが複雑に絡み合いながら絶えず動いてるのって「世界は絶えず動きながら均衡を保って成り立っている」てことなのかなー、と。でもちょっと離れたそうにしてたりするんだよね、お互い。それってもしかして「徐々に均衡が崩れだした世界」なのかも。
で、Diggyは世界の均衡が崩れ始めていることを知ってるんじゃないかな。でもそれを食い止める術は知らない。で、何をするかって結局今まで通り音楽を作る訳だよね。
そうして最後、細々と繋がっていた「IN」くんと「OUT」くんがとうとう離れてしまう=世界の均衡が崩れる、と同時にDiggyのいたトンネルも暗転=世界に終わりが訪れる
て感じかなーと思ったけど。合ってるかどうかは自信ないな…

まあなんか…暗いよね…。
でもDiggy-MO'という人、『PTOLEMY』という楽曲の世界観はめっちゃ良く現れてる。いやほんとこの監督さんはめちゃくちゃ曲聴き込んで考えに考えたんだろうな、と思いまふ…お疲れ様です…

で、結局なんで寝しなに観るの?


これっすよね。
何でなんでしょか?
楽曲も映像も緊張感に満ちて明るさ皆無、なんとも鬱りそうなこのMVをよりによって寝る前に観る必要があるのか?

まあ最初に言ったように「初めて出会った時の衝撃を引きずってる」ってのは大きいよね。
あとはさぁ、この曲はDiggy-MO'という人の今の(つっても5年前だけど…)精神世界の座標軸みたいな曲なんじゃないかな?と。きっとまだまだ掘り甲斐のある曲だと思うのよ。
だからまあ1日の終わりになーんも考えずに観てもいいし、ぐるぐると考えを巡らせて観るのもまた楽しかったりするよね。

でも「そんな屁理屈いらん!好きなもんは好きだからだよ!」ていう自分もいるね…(笑)

最後に


いやはや…よくここまで読んだね(笑)

大丈夫?疲れてない?

以上、オレによるオレの為の『PTOLEMY』解釈でした。
で、キミの『PTOLEMY』てどんなの?
もし良かったら「ここはこうじゃないか?」とか教えてほしい。そしたらオレの『PTOLEMY』はまた進化するのでね。

それでは、ひとまず、お疲れさんでした。

お☆わ☆り





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