望遠鏡は持ってないけど、見えないものを見ようとした。
大切な事はいつも目に見えない。
わたしたちはそれを知っている。
そんな事分かっている。
そう、嫌になるくらい。
失恋した翌日に、母が作ってくれてたお弁当と一緒に入ってたチョコレートを食べて、流れた涙の味。
大学受験の前日に、トモなら絶対大丈夫、今まであんなに頑張ってきたんだもん。と言いながら握ってくれた友人の、手の温かさ。
眠れない夜に大好きなアーティストの大好きな歌を聴いて、明日に立ち向かおうと思える、ミジンコみたいに小さな勇気。
落ち葉を掃きながら挨拶をしてくれた優しそうなおじさんと、「いい1日になるといいね。」「だね。」と言葉を交わした、異国での寒い朝。
愛おしい人と手を繋いで歩いた浜辺での、花火の匂い。
それなのに、わたしたちはそれを見たくてどうにか形にしたくて、いつも必死になる。
大切なものは目に見えない、のに。
カタチがなくても忘れたくない、と思った。
きっと何十年、何百年も前から言われてきた言葉を、それでも、何度でも言葉にするのは、わたしたちが不安定な生き物だからなのかもしれない。
繰り返し唱えて、そうだそういえば、目に見えなくても大丈夫なんだった、と再確認する。
そして思い出した過去に心をキュッと鳴
らせて、また安心する。
不器用だね。
その不器用な心をいつか丸ごと愛せる日が来たなら。
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