派手な顔も認めて欲しくて、地球儀を回した
こんにちは!ともちです。
初めましての方も、そうでない方もアクセスいただき本当にありがとうございます。
さて、最近わたしは新しい一歩を踏み出すことを決めました。
新しい世界へ飛び込むことは本当に怖くて、ただでさえ自信のないわたしにとって、新しい世界へ飛び込むことは本当に怖いです。でも、これからの人生を進んで行くために、過去のトラウマを浄化させたいと思い今回のnoteを綴る決心をしました。
正直、思い出したくないことばかりだったので泣きながらの執筆でした。(自分ではもう二度と読まないのだろうなあと思います。)あまりよい過去ではないので公開するのを今でもまだ躊躇っているし、いっそのこと削除してしまいたいくらいです。
長くなりますが、お付き合いいただけるととっても嬉しい〜!
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1/29 愛知県にて誕生
小学4年生、世界地図の教科書を手に入れ世界に興味を持ち始める。
小学5年生、英語の授業が始まり世界の人とコミュニケーションが取れることに感動する。
14歳、部活少女、暗黒時代
15歳、高校生活、キラキラしてない「恋と友情」
18歳、大学生、人生はこんなにも楽しく輝いている。世界はやっぱり美しい。
19歳、10年越しの夢を叶える。生まれて初めての海外。バンクーバーへホームステイ。大学時代は海外へ(タイ・韓国・グアム・カナダ・アメリカ・フランス・スイス・ドイツ・オーストリア)
22歳、社会人、頑張れわたし(オーストラリア・香港・マカオ・トルコ・ハワイ・ベトナム・シンガポール・パプアニューギニア・台湾)大手旅行会社の内定を断り、地元企業へ就職。
25歳、運命の分かれ道、単身ハワイ
27歳、OLのかたわら、ライターとして活動し始める。
灯台もと暮らし創刊編集長の伊佐知美さんが主宰するオンラインサロン「旅と写真と文章と」に参加。
*小学校時代*
世界地図の教科書と誕生日にもらった電子辞書のおかげで、世界に興味を持ち始める。日本(の面積)ちっさあ……。アメリカの大きさ、やばくない?と大興奮。そんなわたしを見た両親が、魔法のアイテム「地球儀」をプレゼントしてくれた。
これで世界に一歩近づいた!と、めちゃくちゃ嬉しかった。
*中学時代*
ハンドボール部だった中学生のわたしは今以上に色が黒く、今と同じで顔のパーツが大きかった。
いわゆる派手顔ってやつ。(※派手というだけで容姿がよい訳ではない)
「ハーフ顔」なんて、今でこそ憧れの顔として雑誌やテレビで取り上げられるけれど、当時は異質なもので、おまけにメイクひとつしていないわたしの顔は、思春期の中学生男子がからかってハジく対象とするのにはもってこいだった。
殴る蹴るとかそういうイジメはなかったし、仲間はずれとかSNSで悪口を書かれるといったこともなかった。ただただ、男の子から教室でいじられる。
女の子の友達はたくさんいたから、毎日ワイワイやっているように見えていたと思う。だから、お前の気にしすぎだ、と言われてしまえばそれまでなんだけれど。
一番心をえぐったことは、隠れあだ名。
当時、外国人留学生が日本人に殺されてしまうという、決してあってはならないとてもとても悲しい事件が起こった。被害者の子の名前はルーシーと言った。
わたしは彼らに陰で‘ルーシー’と呼ばれていた。
上記の見た目ゆえに日本人じゃないと言われ、(100%日本人です)
「日本人じゃないならお前も殺されればいいのに」という理由から。
「早く国に帰れよ」と笑いながら言われた。
席替えで、となりになる男の子には「外国の菌がうつる」と言われ、初めてしゃべる男の子には「お前の顔日本人じゃないだろ。外人グロい。」とクラスに響き渡る声で言われた。教室には爆笑が起きた。その子は自分が笑いを取ったと勘違いし、更にわたしの見た目をからかい始める負のループ。
人前で泣きたくはなかったし、絶対に泣かなかった。どんな事を言われても笑って返したし、別に気にしてませんよ、といった態度で冗談に聞こえるようなリアクションをした。(これはわたしも悪かったなあと思う)
でも、傷ついたところは見せたくなかった。
泣いてしまえば、もっともっと、ずっとずうっと惨めになる気がして。
教室に響き渡る笑い声に負けないように、泣きそうになる時は口の中を噛んで必死に耐えて笑った。学校からの帰り道、交差点で友達とバイバイしたあとに近所の公園に寄り道してベンチに座って泣いた。
大きい目、厚い唇、黒い肌
自分の顔が大嫌いだった。
だけど、自分のことが大嫌いな自分は、もっと嫌いだった。
だから、せめていつも笑っていようと決めていた。
幸いにも女の子の友達は沢山いたし、数人の男の子は普通に話してくれたおかげで、クラスでひとりぼっちになることはなかった。けれど、「キモい、外人、寄るな」などとからかわれずに、男の子と普通に話している女の子は別の生き物に思えた。「異性と話しても暴言を吐かれない」という事が心底羨ましかったのだ。外国の菌が嫌だというなら、人一倍清潔にしていよう。
なるべく目立たないようにしよう。
からかってくる男の子たちから隠れることが、1日の最大のミッションだった。
親に知られるのは恥ずかしくて申し訳なくて、なんにも言えなかった。「こんな娘でごめんなさい」と布団にくるまり、バレないように声を殺して泣いた。泣いた次の日は、二重のまぶたはパンパンに腫れて幅が広くってしまうから、さらに派手顔になった。雑誌は買えなくなった。性別は同じなのに別の生き物がたくさん載っているから。
はやくこんな毎日から抜け出したくて、自分を認めてくれる居場所が欲しくてたまらなかった。
だから、家に帰ると一目散に教科書の世界地図を広げ、机の上にある地球儀をくるくると回して、心を落ち着けた。
きっときっとこの地球のどこかには、わたしの顔も受け入れてくれる場所があって、普通に「おはよう」とか、普通に「きのうのテレビみた?」とか当たり前の会話をしてくれる人がいるはずだから。と、まだ見ぬ世界を信じた。
世界のことを考えているときだけ、わたしにも楽しくて笑える未来があるんじゃないかと、少しだけ強くなれた。
14歳のわたしは卒業までの期間をそうしてカウントダウンし、魔法のアイテム「地球儀」を回し続けたのだった。
*高校時代*
環境を変えるために遠い高校に進学する。1時間半もかかったけれど苦痛ではなかった。
自分の学力より1つ上のランクの高校だったから、英語と体育以外の成績はあんまり良くなかったけれど。でも、誰もわたしを知らないし、からかってくる男の子はいない……!
可愛い女の子の友達もできたし中学から続けていたハンドボール部にも入れて、なんだか順調だぞ。体育祭では30人31脚で両隣が男の子だったのにも関わらず、その子達は当たり前のようにわたしと肩を組んでくれた。
え…いいの?外国の菌、うつるとか言わない…?
そんなある日、わたしは先輩から呼び出され「好きなんだけど」と気持ちを告げてもらった。なかなか人気のある人だったからすごく驚いたし、ありがたかったけれど、罰ゲームなのかな?と思ってしまったし他に好きな人がいたのでお付き合いすることはなかった。
ただ……。その人は部活で毎日一緒に汗を流している友達の好きな人だった。
不安は的中。たちまちわたしは、「友達の好きなひとをたぶらかして告白させて、振った女」というレッテルが貼られた。女性の方ならわかってくれると思うけれど、オンナノコの中で絶対にやってはいけない暗黙のルールというのがある。「友達の好きな人に告白される」もそのルールの一つなのだ。
「ちょっと顔がいいからって、何もわたしの好きな人取らなくていいじゃん!いじわる女!」と部活中にみんなの前で泣かれてしまった。
は……?顔がいい?誰の話をしているの?
可愛い友達VS派手顔のルーシー。どちらが有利かなんて一目瞭然だった。なんでもない顔をするのは得意。笑うのだって大得意。
だけど……。
だけど、待ってよ、お願い。そうじゃない、話を聞いて。
「わたしはあなたのことを友達だと思っているよ。わたしの好きな人は別にいるんだよ。」なんども伝えようとしたけど、届かなかった言葉。
苦しくて悲しくて助けてほしくて。誰かに「大丈夫だよ」と言ってほしくて。でも誰にも相談できないから、二つ目の魔法のアイテム「音楽」の力を借りた。
「笑いながら泣いたらええわ。たまには顔出すんやで。」(10-FEET/2%)
「数えきれないほど失くしてまた拾い集めりゃいいさ」(ELLEGARDEN/ジターバグ)
歌詞の向こうで叫ぶアーティストは、地球儀同様にわたしの心を支えてくれた。それでももうどうしようもなくて、楽になりたくなる時は何度となく訪れた。15歳のわたしは本当に何気なくふと、明日を諦めようと思った。
何か大きなきっかけがあったわけではなく。ただ、「もういいや」と思ったのだ。小さな小さなささくれの積み重ね。中学の記憶がフラッシュバックする。ああそうか、わたしはまだルーシーなんだ。
ネットで方法を検索した。扇風機を回して寝ると身体が冷えて凍死するという記事を見てすぐさま試した。寒すぎて眠ることすらできず断念。普通に朝を迎えてしまった。
「混ぜるな注意」は、お風呂場でぜんぶ混ぜた。なんだかよくわからないけれど、何も起こらなかった。
どうして何もかもが上手にできないのだろう。ただ、仲良くしたいだけなのに。
*大学時代*
魔法のアイテム「地球儀」のおかげで世界への熱が消えることなかったので、英文科へ進学をした。広い校内、自由なサークル、誰といても1人でいてもいい。たくさんの人がいるから派手顔だって紛れて過ごせる。留学生もいる!英語がいっぱい学べる!楽しい!わたしより派手な女の子いっぱいいる!仲良くなりたいな!男の子のお友達もできたし、サークルで可愛がってもらえる。
何ここ……楽しい!
これまでのことが嘘だったかのように、大学生活は夢見ていた生活ができた。同じサークルの先輩2人に同時期に告白してもらった時も、周りの女の子は泣かなかった。’ルーシー’とも、’顔のいいイジワル女’とも言われなかった。中学時代に「殺されればいいのに」と言われていたルーシーが、どうして告白などしてもらえるのか本当に理解できなかったけれど、「いいなあ、ともみ!モテモテじゃん!」と、目をキラキラさせる友達とカフェで夜遅くまでおしゃべりできたことは良かったなあと思う。
わたしを苦しめていたものが、溶けていくようだった。
19歳になった時、小学生の頃からためていたお年玉とアルバイト代で、念願の初海外に飛び立った。大学の冬休みを利用した、たった数ヶ月のホームステイ。初めて訪れる異国の地、カナダ・バンクーバーは、想像していたよりも思い描いていた’海外’そのもので、毎日毎日幸せだった。
ワンブロックごとにカフェがある街は、大きくもなく、小さくもなく。様々な人種がコミュニティーを築き、笑い合っている。ただそれだけで涙が出た。もっと世界を知りたい、もっとたくさんの人たちと触れ合いたい。
ねえ、14歳のわたし、やっぱりわたしの居場所はこの広い世界のどこかにありそうだよ!
帰国したあとは、それはもう狂ったように世界に思いを寄せ、世界と関わる生き方をしようと模索していた。 旅行会社?商社?どんな道に進もうか…?今のようにフリーで働くという概念が全くなかったわたしは、海外と関わりたいという一心で商社を受け続けた。が、無事全滅。止まらない「お祈りメール」
その後、大手旅行会社に内定をいただくも、「基本給14万円、交通費、家賃補助なし。終電で帰れない。」という条件をつきつけられ、全く予想もしなかった地元の中小企業へ就職した。
卒業までの残りの大学生活では、お金が貯まっては海外へ飛び、日本でない国の生活に触れた。
やっぱりわたし世界が好きだよ。日本も好きだけれど、世界も美しいよ。
世界と関わりながら仕事をして生きていけたらどんなにいいだろう。
*OL時代*
新入生の頃は毎朝駅のトイレで吐いてしまっていた。怒られたって仕方ない、誰よりも経験値は低いんだ。早く一人前になろう、と必死だった。(今はこの時よりもずいぶん強くなったから、吐いたりすることはないです)
24歳のある朝、出勤すると商工会議所で行われる婚活パーティーのチラシ100枚がわたしのデスクに置かれていた。朝礼で、「ともみさんには、売れ残ってはいけないので婚活パーティーのチラシをあげました。出席するように」と当時の上司にフロアに響き渡る声で言われた。部屋の中に起こる爆笑に、ルーシーと呼ばれていたあの教室での出来事がフラッシュバックした。
中学の時よりも強くなっていたわたしは、上司の目の前で100枚のチラシを、次の資源回収日に出す予定の新聞の山と一緒に、紐でかたく縛った。(※そのチラシ作りに関わっていらっしゃった方々、粗末な扱いをしてしまって本当にほんとうにごめんなさい。作り手の皆さんにとても失礼なことをしたと反省しています。)
大好きで大好きでたまらない彼と別れた次の日の出来事だった。
それでも会社やめなかったのは「辞めることは逃げること」と思い込んでいた自分の意地と、3年働いてお金をためてハワイに住むと決めていたから。
世界への想いは増すばかりで、お昼休みにブログ村の世界一周ブログを毎日読んでは、海の向こうへ思いを馳せた。
その頃から世界のことを発信したいと考えるようになり、トラベルライターという存在を知る。わたしが今まで旅したこと、役に立つかなあ。
25歳の頃、初めて訪れたハワイで縁あってモデルのお仕事をさせていただき、派手顔ルーシーが載ったチラシはホノルル空港で配布された。好評だったよ、と帰国してから連絡をいただいたときは、ようやく少しだけ自分を認めてあげられた気がした。
ハワイは想像していたよりも過ごしやすくて、一瞬で大好きになった。
気候のせいか体調がいい。綺麗な海がある。人がおおらかで優しい。直感だけど、波長が合う。
わたしの直感は当たるんだ。
もしかしたらわたしの居場所はハワイにあるかもしれないと、なんとなく感じていた。
その後、OLを続けながらハワイにて記事モデルをさせていただいたり、日本でライターのお仕事をさせていただいたりした。会社の事務仕事以外のことで活躍したかった。自分の書いた記事やモデルとして関わらせてもらったものが、周りの人にとても喜んで貰えたことで、大きなやりがいになった。
本当に本当に嬉しくて、派手顔でルーシーと呼ばれていたわたしでもこの顔で誰かを喜ばせることができるんだと、少し自信がついた。
*そして今*
自分が行動することで人が喜んでくれることが、ただ嬉しい。わたしに関わってくれる人たちは笑っていてほしいし、もしも辛いのなら「大丈夫だよ」と抱きしめたい。
だって、わたしは人には悩みを言えなくて、魔法のアイテム「音楽」を使わなければ“大丈夫”という言葉を得られなかったから。それにもう一つの魔法のアイテム「地球儀」を回せば、こんなに大きな世界が広がっているのが見える。
だからわたしは悩んでいて辛い人にこそ、世界を伝えたいし、大きくなくていいから旅に出ようと伝えたい。居場所は必ずあるよ!
世界の隅っこで丸まって、この世の全てが真っ暗で、苦しくて苦しくて部屋で1人泣いていたわたしですら、ハワイに拠点を持ちたいという居場所候補が見つかった。
だから、わたしは会社を辞める決心をした。
ハワイに拠点が持てるように、そこで暮らし生活して、14歳の泣き虫ルーシーだったあの頃のわたしを救うために。職も家も、何も決まっていない。貯金だってそんなにあるわけじゃない。怖くてこわくて不安でたまらない。
でも、もしわたしと同じように苦しんでいて居場所を探している方がいるのなら、「辛い気持ち、本当によくわかるよ。とりあえず、一回ハワイにきてみなよ。もしかしたら居場所が見つかるかもしれないさ」と伝えることができるかもしれない。
泣き虫ルーシーを乗り越えたわたしが、発信したり記事モデルをさせていただくことで誰かの小さな小さな灯になれるのなら、過去のトラウマさえ味方につけてやる。
*終わりに*
長くて乱雑な文章ですが、読んでいただいて本当にありがとうございます。リアルのお友達ですら知らない秘密を公開しました。書きながら辛かったことがフラッシュバックして泣けてしまい、なかなか文が進みませんでした。
見た目で、女の子の敵を作りやすいこと。
派手顔で男の子にいじられたこと。
明日をあきらめようとしたこと。
本当に隠しておきたかったです。知られたくなかったです。もちろん、もっと大変な思いをしている方もいるし、わたしが憧れた「かわいらしい女の子」だって努力しているし、もちろん辛いこともあったと思います。
これを読んで、きっと引いてしまう方もいらっしゃるとおもいます。わたしのことを嫌いになって離れてしまう人もいるだろうなと思っています。それは悲しいことだし、これからはそういう目で見られるんだろうなと思うけれど、OLをやめて頑張っていくんだと自分を鼓舞するため、そして、これを公開することで、もしかして誰かの救いになるのならと、公開を決めました。
ネガティブな話が多くなってしまいましたが、もちろん楽しいこと嬉しいこともありました。今は、とっても元気です!仕事をやめる不安はありますが、ただ泣くだけだったルーシーは、もういません!ここまで生きて来れたのは、本当にわたしに関わってくださったみなさんのおかげだと思っています。
わたしはいつもみんなにもらってばかり。だから今度はわたしが返せるように…。そんな自分になりたいのです。
以下にわたしのできることを紹介させていただきます。
ご縁や、お声がけていただけたら本当に嬉しいです。
・ライティング(旅・美容・金融関係が得意)
・画像加工・アイキャッチ作成
・記事モデル・サロンモデル・ブログ出演
・共感覚があるので文字や人に色が見えます
・ハワイの情報
・リアクションが良い
その他なんでもご相談ください
あと、わたしは運がめちゃくちゃ強いです。それから晴れ女なので、野外で大事なご予定などある際には役立つ場合もあります。
言葉は言うと現実になるし、お友達がピンを立てて行動すれば夢は叶うと言っていたので、
めちゃくちゃ勇気いるけれど今のわたしのピンを発表します!
「みんながハッピーになるハワイの新しいお土産を作って、1人残らず笑顔にする!!」
です!
(うわあ!!!!!!!!デカイこと言っちゃったよ…どうしようどうしよう…)
以上が、今わたしがさらけ出せる全てです。
もし!
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ということで、これからもともちをよろしくお願いします!
あなたにとって今日が良い日になりますように。
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