胎児の人権を尊重することは宗教右派になることではない

現代社会で、
残念なことの一つとして、
胎児の人権を尊重し、
人工妊娠中絶がなくなっていくことを願おうとすると、
宗教右派(反同性愛、反性的少数者、固定的な家制度賛美、女性叩き、母性強制、多産DV、避妊薬フォビア、中絶した女性と医師叩き)になる方向に
圧力が加わることです。

胎児の人権を尊重することと、宗教右派になることは、
歴史的経緯から抱き合わせになっているだけで、
本来一体になる論理的・倫理的必然性は何もありません。

胎児の人権と女性の人権を共に尊重し、
望まない妊娠・望まれない受胎を双方への最大の人権侵害として、
原因となる男性だけを最大限法的道徳的に罰すること、
避妊しない男性を最大限法的道徳的に罰すること、
女性が自己防衛のための避妊手段に
無料で確実にアクセス出来るようにすること、
子育て支援を充実させること、
これらの施策を行うことが、
弱い立場の人権を守るという観点からした、
まっとうな胎児の人権尊重論です。

決して、中絶をした女性や医師を罰してはいけません。
強者が原因で、弱者同士の重大な人権衝突が起こったとき、
罰されるべきは片方の弱者ではなく、
原因となった強者です。


ましてや、関係のない反同性愛、反性的少数者、固定的な家制度賛美などを
混ぜ込む必要は一切ありません。
女性に母性愛を押しつける必要も、多産DVを奨励する必要も一切ありません。

歴史的偶然から抱き合わせになっているだけの宗教右派思想と切り離して、
いったん純粋に、弱者の人権を守るという点から、
胎児の人権を守るために何が必要か考えた結果が上記になります。

最後になりましたが、女性の人生の選択権も、胎児の生命権も、どちらも限りなく尊重される、夢物語と見えても、
そのような社会を私は望みます。



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