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京都人は『大文字焼き』と呼んだらなぜ怒るのか

記念すべき初投稿。

最初の投稿をどんなネタにしようとか特に考えていたわけではないのだが、地元京都ネタになった。

本日は8月16日(日付が変わったのはご愛嬌)。『五山送り火』の日である。
個人的には『大文字送り火』という呼び方のほうがしっくりくる。
というかもっとシンプルに『大文字』と呼んで育ってきた。
それはおそらく、五山の中でも如意ヶ岳の『大文字』が特に身近な出町柳が地元だからというのもあるだろう。

今日はこの、現在公式的には『五山送り火』と呼ばれている行事の呼び方についての考察である。

京都の人は『大文字焼き』と呼ぶと怒るとか言われているのは有名な話かと思う。
実際僕自身も、会話相手がそういう呼び方をしようものなら「ちゃう!」とか、「京都ではそんな呼び方はしません。」とか言って、強く否定する。

しかしどうやら、昔の京都の人たちは普通に『大文字焼き』と呼んでいたようなのだ。
『送り火』とか、『五山送り火』という言い方はだいぶ時代が後になってから出てきた呼び方だという。

ではなぜ、僕自身も含め、現代の京都人は『大文字焼き』と呼ばれたら怒るのか。
それはやはり、国内外含め遠くからの観光客が増えたことが大きく影響しているのではないかと思う。

本来、この行事は地元の人たちがご先祖様を浄土にお送りする宗教行事である。
それが最近は観光イベントの色が強くなってきた。
そもそも京都の人たちは自分たちの普段の生活エリアや大事にしてきた慣習などをただの観光の対象としてしか見られないことに対して快く思っていないから、『大文字焼き』という観光イベントではなくて『送り火』という行事であるということを強調したいのではないだろうか。

もう一つは、同じような行事が全国にあること。
それらは『各地の大文字焼き』のように『大文字焼き』という名の大きな括りでまとめられることが多い。
京都の『送り火』はそれらとは違うんだ。日本を代表する送り火であり、厳かな伝統行事である。そんな地方の盆踊りやら花火と一緒にやってるようなイベント化したパクリ行事と一緒にしないでくれという、いわゆる京都人のプライドのようなものが関係しているのではないだろうか。

呼び方はともかく、京都人にとって送り火が終わると夏が去っていくという一抹の寂しさがある。
これは何と呼ぼうが京都人がみな感じていることではないだろうか。

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