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愛のかたち

息子が海暮らしから帰ってきて
翌日の朝、彼のお小遣いボックスからがさごそと
お金を用意して
わたしに手渡した。

確かなんて言葉で言っていたか?
支援金?軍資金で〜すだったかなぁ?
笑顔でわたしに手渡した。

えっ?いいよ。
気持ちだけで十分だし
大丈夫だからと何度も断ろうとしたけど

彼はいいからいいからと。
たくさん使ったことだし、
本とかいろいろ買ってもらったしと
何とか受けとってほしい気持ちでいる。

彼の精一杯の気持ちを
受けとることの方がいま
大事に思えて

まぁありがとう。
今までなかなか出来なかったことだから
いいのよ。遠慮しなくて。
これでまた美味しいもの食べようねと
受けとった。

これまでも何度か彼なりに気持ちを伝えたい時に
わたしにお小遣いあげると
彼の中でいくらか渡して来る時があった。

彼なりの精一杯の気持ちの表し方なんだろうなぁと。
自分だけで溜め込まず
ここぞという時にこうやって
気持ちを表そうとする彼の気持ちに
ぐっといつも来る。

と同時に
これまで不自由な暮らしの時もあったから
申し訳ないなぁとか。
その影響でお金に対しての気持ちが
一般的とは違うかも?とか
心配や申し訳なさも正直、
時折り訪れたりもする。

夫とはお金の価値観が最初から違ったこともあり、
かなりがんばったけれど
意を決して家を出ることになった。

後半の結婚生活では、
自分の貯金を切り崩してかなり
ヘビーな暮らしもした。

あんなに再婚するまで
自分を大切にとあれこれ手間暇かけて
大事に扱ってきた暮らしから一変する暮らしで
わたしは自分をすり減らして生きていた。

子どもが私の元に来てくれた
それだけでかなりのギフトなのだからと
何だか始まった時から
合わない夫との暮らしだったけど
なんとか自分をその狭い枠の中におさめて
その中での幸せを必死に探して
子どもが小学生になる頃まで頑張った。

でも、コロナもあって。
一緒にいる時間が増えて
限界が来ていた。
誤魔化し続けていたものが
ガラガラと崩れ
死んでるみたいに生きている
わたしが見えてしまったからだ。

あらゆることを準備して
夜逃げ同然の別居。
持ち物は全てなくなる覚悟までして
それより必要なものを必死に護ることの方が大事!と意を決してのことだった。

生活保護にお世話にもなって
あらゆるものに助けを借りて
今の地点までやってきた。

何もかもが新しい見知らぬ土地での暮らし
生きていくのに必死で心身はボロボロ。

でも、何とも言えない安心感があった。
何にも制限されない
すべて自分で決めて良いという暮らしが
そこにあった。

あれから丸三年が経とうとしている。

いろんなプロセスがあり
いまは生活保護からも抜けての暮らしも
一年経過して。

いろんなプロセスがあり
大変容している。

でも、大きな波の揺れもなく
ひたひたと安心感をともなって。

自然の波にひたひたと乗りながら。
与えられるものを受けとりながら。
大きな目標設定もない。
自分でこうしようという意気込みも要らない。

ただひたすらに自分を大切に扱って
整えて
なんか感じるものに導かれるままに

この先の未来が将来がどうなるかさえ
はっきりとしたものも確約もない。

でも、何だか変な心配はいらないことだけは
わかっている。

必要なことは
ちゃんとタイミングよく与えられている。

ただただ目の前のことを一生懸命にやりながら。
そして丁寧に感じるいまを大切にして。

私がわたしの感じること全てを許して
出てくる感情もそのままに受けとめて
罰するのではなく。
あ〜そう感じているんだなと抱きしめて。

私の中で湧き上がるものすべてを
一つひとつ丁寧に。

いまはとにかくそれが大事なことだと。

このところふと気になって
Amazonプライムで映画なんか観たりして
その時に観たいものから得る時間に癒されている。

そして図書館で借りて来た本を読んだり

台所を通してのいろんな人のリアルな人生が
じわじわと余韻をもたらしてくれて。
この視点好きだなぁと
その人それぞれの、暮らし、生き様が
なんともリアルに響いてくる。読み応えあり

映画や音楽、本の世界に浸りながら
その力に助けられる日々。

そういう時間を過ごせるようになったんだなぁと
それもじわじわと嬉しい気持ちになる。
そんなゆとりが出て来たんだなぁと。

映画は
ペンション メッツァ
犬に名前をつける日

どちらも、小林聡美さん主演の映画。
昔っから彼女の出る作品、
存在感が何とも好きで惹かれてしまう。

めがねやかもめ食堂、マザーウォーターなど
観てきた。

彼女の放っている空気感や生き様、
立ち振る舞いが好きで
響いてくるもの、余韻があって。
影響を受けている。

ここ数日
母とのやりとりからまた私の中で反応があって。
静かに消化、昇華出来ない思いがあった。

それがまた映画を観て涙したことでとても
癒されて
また自分の癒しきれていない亡き父や
ずいぶん前に亡くなった犬のモモのことも出てきて。

なんだか駆け抜けて置いてきぼりにしていた感情が
まだあることに気づいた。

そしたらもっとそれを感じられないでいる
母にも想いを馳せて

また新たな気持ちがうまれたりして。

そしてとにかくいまは
自分の気持ちを優しく抱きしめてあげることが
何よりなことだとまた感じて。

さらにゆるゆると
映画と本に明け暮れて。
そんな時間のギフトに感謝した。

昨日やり逃した生春巻きにチャレンジして
久しぶりにやったものだから
コツが掴みきれないうちに具材終了で笑
YouTubeで次回に向けて研究して笑


やっぱりどんなことがあっても
わたしは台所と共に生きている。
そのことも確認。

台所
食べることが
生きることの中心にあるんだ。

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