Frank Sinatra『In the Wee Small Hours』(1955)
音楽が時代を反映していると言うけれど、正直時代と言うのは大げさだと思っている。しかし、作品に関わった個人の生きた環境みたいなものがにじみ出ることは本当だと思っている。
ストリングスのタッチ1つから、少なくともこのアルバムに関わったプレイヤーの気持ちが垣間見える。
単純にその時代の録音機材がそういう音という言い方もできるかもしれないけど、それでももっとある種シビアというか堅い音を目指すこともありえたように思う。
でも、そうではなく、ある種の軟らかさのある空気や香りを密封したような音になっているのは、きっとそういう気持ちで作ったからだと思う。
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私は本気で、音楽を聴いて生きている人は、聴いた音楽に沿ったような生き方をすると思っている。食べたもので身体が作られるように。
だからこそ、何を聴くかで自らを望む形に形作ることもできると思っている。
知らない音楽を聴くと、単純に足りてないものに気づく。聴けば沁みるというのは、そういうことだと思っている。そして、それは少しの反省とともにある。
こういう軟らかさは私が最近おろそかにしていたものである。どこかしら感想を語り合うことを戦いと捉えがちなったこの数ヶ月を少し反省した。少し私は「良く」なった。
この記事は『或る歴史と或る耳と』と非公式ながら連動して書いている。
すべて聴き終えたとき、少しでも「良い人間」になれているのではないか。そんな期待が持てる時間だった。
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