『声フェチオタクが考える勝手に乃木坂ちゃんの声質分類』〜前提とくぼした編〜
はじめに
某くほ氏のポストを受け、私も書かせていただきます。
当方、別に何かの専門家ではなく、ただのオタクですが、ちょくちょく声色のかけ合わせという話は結構よく考えているので、そうした観点から持論を書かせていたただきます。
前提がてら小噺
さて、大前提として、こうした声色の印象というのは、レコーディング後のミックス等諸々のプロセスでずいぶん印象が変わってくるものです。音源、すなわちシングルとしてリリースされているもので、我々が耳にする彼女たちの声はしっかり「メイク」をされた状態に近いでしょう。同じ人でも違うメイクをされたらずいぶん印象が変わるように、歌声も同じことが言えます。各楽曲にあわせて衣装が作り込まれるように、歌声も同様ということですね。
「あれっ、でもオートチューンみたいなのかかってない曲のほうが多いじゃん。普通に歌ったまんまの声に聴こえるじゃん」
と言う方もいるかもしれませんが、ここで言っているのはそういうエフェクティブな処理だけではなく、「普通に歌声を綺麗に聴かせるための処理」いわば「すっぴんメイク」的な要素も含みます。くまを目立たないようにする、肌をツヤツヤに見せるなど。
そして、場合によっては首のほくろを勝手に消されるわけです。消すなよバカタレ。
具体的に乃木坂46のレコーディングでどのような手順が用いられているのかは分かりませんが、一般的に、歌声は録って終わりではなく、代表的なものならコンプ(声量のばらつきを整え、安定感を持たせるエフェクト)やEQ(特定の周波数を上下して聴こえ方を整えるエフェクト)のような処理をするのが一般的です。
加えて、ピッチやタイミングに関しても、甘いところに関しては、かなり細かく編集してあるはずです。
「SMAP5人」とかそれくらいの規模だと、濁りも全部味に化けたりする気もしますが、ここまで多人数が重なって歌うと、その分、僅かなピッチの濁りも一瞬で収集つかなくなると思うので、そこら辺を相当気を使ってる印象を受けます。
乃木坂46は冷静に考えると、そこそこの規模感の合唱部位の人数が居ます。その人数で全員ユニゾンで歌っていると思えば、少しの濁りでもどう致命的なことが起こるか想像しやすいかと思います。
ここらへんを整えている方は本当にすごいと思います。全員のボーカルデータで一体どれだけあるんだ。
余談ですが、ピッチ補正というと、下手をごまかすような印象を受けるかもしれません。しかし、こうした処理はもはやアイドルに限らず「歌を良く聴かせる」ための一般的な処理として普及していますし、プロアマ問わず当たり前のことになりつつあるため、別にそういう意図はないと私は考えています。
(もちろん、生歌で毎回すごい精度のピッチを出す人も世の中に当然いますので、全てがそうしたデバイスの恩恵というつもりはありません。)
また、こうした編集をしてまで完璧なテイクを残そうとしているのは、ここで録った歌が後世にまで「マスター」としてずっと残るというレコーディングならではの事情があると思います。
なので、必然的に「完璧な」テイクを残しておくべきというのはわかるし、いわゆる「ライブ特有の手触り、ムラ」のようなものは一旦全ておいておいて、CDは完璧なものとして残すからこその大編集です。
なので、じつは本当はライブでの歌声の話と、レコーディングでの歌声の話は別にしないといけないのですが、それはまたいつか…。今回は意図的にどちらも混ぜたふわっとした感じで話します。
前提がてら小噺2
また、同じメンバーであっても、当然楽曲に合わせてこうした「メイク」、すなわち本人の歌い方やその後の処理も変わっていますし、ポジションでも変わっているように見えます。センターだったらよく聴こえるように、そうじゃないならやや後ろに、という形にはやっぱりなっています。
加えて、最近のシングルはそうめちゃくちゃ人が入れ替わってるわけではないので、バランスで各シングルの色を出しているような印象があります。ここ数作はフロントが固定されているからなおさらです。
当然、センターの声がその楽曲の顔なので、単純に音量をデカくするのはもちろん、諸々の処理で「一番おいしく聴こえる」ようにしているように感じます。したがって、センターが一番美味しく聴こえるのが最優先なので、まずセンターの歌声の味付けを確定させてから、その上で周りのバランスを取ってるようです。
それこそ、『ごめんねFingers crossed』では、遠藤さくらさんがそんなに声を張るような歌い方をしない上に、もともと息の成分が多めでハスキーなので、彼女の声を立たせるために、音量的に他の人を引いてるのはもちろん、他のメンバーでも立ちがちな声色の人に対してはある種「トーンを落とす」ような音作りがされている印象があります。
特に、冒頭は遠藤さくらさん、齋藤飛鳥さん、山下美月さんの三人なわけですが、割と齋藤飛鳥さんは遠藤さくらさんとキャラが近い声ではあるものの、山下美月さんに関しては相当特徴的な声、ある種キンキンとした成分が含まれていると思いますが、そうした成分はかなり削ってあるように思えます。
多分普通に混ぜたら、山下美月さんの声色が勝って、遠藤さくらさんの声は埋もれる気がします。
これは、最新作『Monopoly』でも同様の傾向が見られます。これに関しては全員のパワーを若干抑えめにしてあるくらい、大胆に「さくちゃん仕様」の色付けがされている気がします。もちろん曲のキャラクターというのもあるけれど。
賀喜遥香さんに関しては、かなり声色として優等生なところがあると思っていて、輪郭がはっきりしていて声色の存在感もあるのに、他のメンバーと混ぜるといい感じに落ち着く印象があります。そういう声色だからこそ、遠藤さくらさんのあの繊細な声に寄り添いつつ、食わない絶妙なバランスになる印象です。
くぼしたのWin-Winの関係
ちなみに、割と削られがち、馴染むために丸められがちな山下美月さんの声色の扱いには例外があると思っていて、それがそれこそ久保史緒里さんとのコンビのときだと感じています。
『僕は僕を好きになる』とか『人は夢を二度見る』とかもそうですし、最近の「くぼした」で歌割りを共有しているときは、山下美月さんの声のそうした成分は残して、がっつり二人でパワーが出るようにという風にしている印象があります。『泥だらけ』とかは過剰にその傾向がありますね。
山下美月さんの声色はキラキラしていて華があるものの、絶対的なパワーという意味では安定感に欠ける瞬間もあります。そこにふつうに重ねると、やっぱりその声色から山下美月さんが勝ってしまう、したがってやや馴染むように丸められるような印象があります。(というか山下さん御本人も意図してマイルドに歌っている瞬間がある)
そこに正統派に見えてかなり癖のある久保史緒里さんの声を重ねることで、癖と癖を重ねて均等に聴かせることに成功している印象があります。
また、逆に久保史緒里さんは、そのトルク感が非常に強い声の結果、わりと声がふくらみがちに聴こえる印象があり、若干アタックよりも、やや遅れてMAXパワーが出る傾向があると思っています。
それこそ、ご本人がDREAMS COME TRUE『うれしい!楽しい!大好き』を良く歌われるというとおり、まさに久保史緒里さんはドリカムみたいなくらいのしっかりパワーの出る猶予のある譜割りの曲だとばっちりなのですが、言葉を詰めるせいでメロディーが細かくなりがちな乃木坂46表題曲では、ちょっとモコモコしがちな時もあります。
しかし、先のやや尖った山下美月さんの声を重ねると、言葉の粒がはっきり見えて、輪郭がはっきりするような効果があるので、これまた久保史緒里さんの苦手になりがちなエリアを補っているような印象があります。
こうやって書くと、「くぼした」は単になんとなくペアとなだけではなく、互いの歌声の個性をフルスロットルでぶつけても許容できるキャパシティが互いにあるらという印象があります。この二人に関しては、本当に相乗効果という印象があります。
ちなみに「しっかりした声の人にきらっとした成分を持つ人の声を重ねる」というロジックの重ね方は割といろんなところで使われている様な印象があって、それこそ林瑠奈さんと伊藤理々杏さんの『さざ波は戻らない』とかとかもそういう理論に感じます。
(これは互いの弱点を補うというより、シンプルに声色のブレンドの面白さという気もしますが)
続く
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