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わたしと「食」との関係/砂を噛むような日々

X月X日

精神安定剤的に書く。

さいきんおいしい料理が作れなくなってしまった。

大好きな自炊をしても、味がしない。おいしいものを食べても、あまり味がしない。

これまでストレスが強くなったり、忙しくなったりして、それどころじゃなくなったりとかすると、そういう時期というのがしばしばやってきた。

そのときも、そのときで、「ああ、食事に味がしなくなってしまったな」「砂をかんでいるみたいだ」なんて毎度嘆いたりするけど、いつのまにか、味がする世界に、また戻っていけたのだった。

それで、とてつもなく、あれが食べたい、これが食べたい、という欲望が出てきて、わたしはまた、食い意地がはった人間になっていくのだった。



だけど、今回は、それが長いし、気づいたら、また元にもどってた、ということもない。

ずーっといまも、続いている。

去年、コロナのデルタ株で、生死をさまよって、それから運良く入院できて、数ヶ月くらい、味覚と嗅覚障害があったのだけど、そのときともちがう。

そのときは、自分にとっての生きがいともいえる、「食」の楽しみが失われてしまって、症例もないから、これから回復するのかしないのかもわからなかったり、コロナ後遺症についてのさまざまな情報が錯綜して不安になるなかで、とても不安で絶望的な気持ちにはなった。

だけど、そのときのほうが、さまざまな後遺症に、1年以上は悩まされてきて、不安も大きかったはずなのに、だけど、そのときは、「食」が希望だった。

退院して1ヶ月くらいは、弱ってしまったり呼吸の苦しさもひどかったりして、まともに100メートルも歩くこともできなかったのだけど、普段そんなに行かなかった普通に歩いて25分くらいかかる地元のイタリアンを食べにいくことが、わたしの目標になった。

そのイタリアンでちょうど、コロナを機に、計9種類のデリの詰め合わせからなるテイクアウトを始めたときでもあった。

そのデリの詰め合わせは、コスパも彩りもよくて、わたしの味覚嗅覚はまだ3割くらいながらも、店主が飲兵衛なので、もとの味が濃いめだったこともあって、「あれ、わたし、味覚嗅覚よくなってきてる?」といま振り返れば錯覚だけど、そのくらいに自己肯定できるパワーをくれた。

そんな、あのときのわたしを支えてくれた、ありがたきデリ盛りなのだ。

自分がコロナにならなければ、そんなに存在がそこまで大きくならなかったかもしれない。

だけど、わたしは、その店に退院後、初めて行ったとき、のちに夫となる同居人と普通の足で25分かかる道を、息切れでぜーぜーしながら、片道1時間以上かけて夏の暑いなかを、何度も立ち止まったり、引っ張ってもらいながら歩いていった。

そして、そのコスパのよいデリ盛りを取りに行って帰るというリハビリを繰り返したのだった。

デリは日々、店主の気まぐれで、メニューが変わってくのだけど、それがまた楽しみだったし、その日いちばんのわたしにとっての彩りだった。

また、その店も、コロナになって生き残りをかけてあの手この手で、そうしたコスパのよすぎるデリ盛りを作ったりと、進化をとげていて、その進化しているさまが、そのお店に行くたびにリアルタイムに感じられた。

それは、後遺症で苦しむ身にとっての世界の接点が、その店としかなかったこともあって、リアルタイムな店の進化を知ることが、「生きている」という実感を与えてくれた。

1年以上たって、普通に歩けるようになってきたいま、そのときのことを思い出しても、そんなことにいまの自分が目にとめられたり、心のよりどころにできるかといったら、いろんなほかの真新しいものに目移りしまくってしまって、あのときだからこそ、見られたものだったんだなあと、いまとなっては思う。

なんだかごちゃごちゃ書いてしまったけれど、まとめると、そんなふうに、「食」はわたしにとっての、リハビリやあらゆる困難からのリカバリーはもちろん、生きるための希望であって、「食」があったから、生きてこられた、というところがあった。

どんなに忙しくて、ストレスフルだったとしても、自炊をしたら心が落ち着いたし、好きなものを食べることが、わたしの希望だった。

それだけ、わたしという存在において「食」が多くを占めていた。

わたしという存在を語ったり、振り返ったりするとき、食べ物とともに振り返ることがセットだった。

自炊のなにがいいって、わたしは、好き嫌いや偏食はないほうなのだけど、「いまこれが食べたい」ということについては、とてもこだわりが強い。そういう意味ではかなりの偏食だ。

だから、「いま、これが食べたい」というものを、自分が作ることによってかなえられる自炊というものは、とてもすてきなものだった。

「いま、これが食べたい」というものをジャストオンタイムでかなえてくれる店はそうそうないから、なら自分が作るしかない、という発想になっていった。

よく「好きな食べ物は?」ときかれるけど、そんなの、そのときその瞬間でころころ変わってしまうし、この食材は好きだけど、素材の質にはすごくこだわるし、味付けや調理法だって、ひとつじゃないのに、「これが好き」と雑にくくることができないから、人に伝えることをちゅうちょしてしまう。

そんなわたしのごくごく個人的なこだわりを満たせるのは、自分しかいないし、自分で作るしかないと思った。

だから、さまざまな事情によって、自炊できない状況になってしまうことが、とてもつらいことだった。

マックも吉牛さえもない山間部に住んでいたときは、ないなら作ればいいという発想が、いよいよ本格的に形成されていった。

ハーブ類も自分で育てて、エスニックからなにまでこれまで東京で好きだったお店の味を、自分で再現することが日常になって、料理スキルがかなり向上した。

だけど、自炊をしていると、バランスを考えていても、どうしても偏ってしまう栄養素があるみたいで、たまに車で遠方に行く際の外食では、そこで不足している栄養素を、自分でも不思議なくらない、実にうまく摂取することができた。

体は自分が求めているものを、知っているんだなあと、びっくりした。自分が求めているものを、チートデーのごとく食べまくりながら、ああ、これ足りてなかったなと、あとからわかるのだ。

そんなふうに、わたしの生きることと直結していた「食」の地位が、いま、ゆらいでいる。

「食」に期待する優先順位みたいなのが、低くなってきているのだ。

一方で、これまでは、「食」にかんする欲や、食い意地が、もしかしたら異常なくらい強かっただけで、ごくごくノーマルになっただけなのかな、とも思ったりもするのだ。

これまでは明らかに、「食」における自分のなかの比重が、異常なくらい大きかった。

だけどその、「食」を原動力として、あらゆる行動ができていた、たとえば、これを食べるために、はるばる電車や飛行機を乗り継いで、あるときぱっと出かけるとか、これを食べるために誰かと会う、とかいうものが、気づいたら、もう、できなくなってきている。やろうとしても、心がついていけなくなっている。

いや、もう、すでに、できなくなっていたのかもしれない。

たとえば、ベトナム料理が大好きで、ある日ふっと、ホーチミンに出かけたりとかしたけど、そこで虚しくなってしまって体が鉛のように重くなって動けなくなってしまったりとか、とっくにしていた。

ほんとうは、もうすでに、だんだん、できなくなってきているのに、そういうふうに変わっていく自分が受け入れられなくて、これまでとずっと一緒の行動を、持ち前の執着心の強さから、ばかみたいにずっと繰り返し続けて、変わらない自分でいようとしていたのかもしれない。

あんなにわたしを満たしてくれたんだから、これからも満たしてくれなきゃ、そうじゃなきゃ、がらがら崩れていきそうな、そんなかんじ。

それで、冒頭の話につながっていくのだけど、これまでよりもけっこう長く、味が感じられない期間が続いている。

それで、これまでみたいに、「これを食べたいから、これを作りたい。ゆえにこれを作る」という発想のサイクルがまったくできなくなってしまった。

だから、毎日自分が、なにを食べたいのかが、わからない。

だから、何を作ればいいのか、どこに食べに行ったらいいのかも、わからない。

だけど、たとえばきょう、自分はきっと卵焼きが好きだから、きっとそれなら食べられるだろうと思って作ったけれど、「自分がこれを食べたい」という切実な動機がなくて、卵焼きが美味しく作れないのだ。

だけど、それを夕食に食べてくれた夫は、「料亭みたいにすごくおいしい」と言ってくれた。自分も、まずくもないから、きっとおいしいのだろうけど、これといってそれを食べる動機もないような、これじゃなくてもいいのに、なんで食べてるのかわからないような、切実な動機がないものはやはり、砂のような味がするのだった。

「食」だけではなくて、そんなふうに、あらゆるものへの欲望が、わたしは薄れてきているように思う。

今回は「食」にかかわることについて書いたけど、ここさいきん、いろんなものへの執着が薄れたというか、あれだけこだわっていたものがなんだったんだろうと思うことがけっこう大きくあって、それにともなって、自分のなかの価値観が、けっこう大きな変革を遂げていて、いつかそんなものをひとつずつ、断片的には言葉にはしているのだけど、もうちょっと文章っぽくかたちにしていきたいなあなんて思ったりもしている。

だけどきっと、薄れているものを信じたくない気持ちがブレーキをかけて、わたしはいつまでも、過去の行動をまだまだなにげなく繰り返してしまっていることが、あるような気がするのだ。

もうサイズの合わなくなった服を着て、ちぐはぐさを感じながら、そのちぐはぐさに向き合ったら、けっこう大変なことになるという予感がしていることは、わかるからだ。

それで、そうやって、少しずつ、小出しに小出しに、おそるおそる、ステーキのお肉を、米粒くらいに細かく切り刻みながら、いま向き合っているところなんじゃないかなあ、と、書きながら思ったのである。

なんでも、イメージから浮かんでくるタイプなもので。

ぼわーっと、そういうイメージがわいて、それをひとつひとつ言葉にしていく、めんどくさくもそれしかできない地道な作業をしながら、え、そうなのかな?とかいって、行ったり来たりしながら、確認していく。

いま、そんな膨大なイメージがたくさん現れていて、それはこれまでから、ほんとうは自分の知らないうちにぷくぷく発酵しながら育ってきたものかもしれないけれど、さいきん急にそのイメージがどんと立ちはだかってきて、そのイメージに、わたしは、そんなに一朝一夕に、1日2日で、解きほぐせるようなものではないとも感じている。

でも、少しずつ、そのイメージを自分のなかに溶かしていくような、いま、そんな時期なのかもなとも感じている。

簡単ではないけれど、だけど、イメージのほうも、溶けよう溶けようとしているので、自分もそれに融合して溶けていくのが、自然なのだと思うのです。

焦らず、ゆっくり、さいきんはあまり売っていないけど、大学時代に流行った、ミョウバンの石を使った、わきのにおいを消すデオナチュレのシリーズの「デオストーン」があったんですけど、その石が溶けていくようなイメージ。

あの「デオストーン」って、なかなかなくならないんですよね。1度買うと、1年以上はなかなか減らない、不思議な石だったな。



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