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のろまは個性

自分の得意不得意を知ろうと思い
自分自身の細かな部分を見てきて思ったこと

生きてきてうまく出来ないことってありますよね
それって何が原因なんだろう?って思うときふと出てきたのが

「物事をてきぱきこなせないのは昔からとろい、のろまと言われてきたからできない自分を諦めている」

でした
(ちなみにとろい、のろまて言葉は父から言われてたことが多く、きっとこれも言葉の呪い・洗脳だったのかもしれないと今は思います。それを個性と捉えるか、一般的からはみ出していると感じるかで出てくる言葉って変わってきたんだろうなぁ~と今は思います)

それの感覚をどう受け止めるか?について最近考えています

「物事をてきぱきこなせない」
これは本当にそうで、以前の掃除が苦手のところでなんとなくわかっていたつもりでしたが、毎日コツコツの中にもキャパオーバーになることも多く、かつ時間の使い方がとても下手だな~とも感じていて

私は魚座みが深いところもありまして、現実と妄想の世界を行ったり来たりしがちで、それが目の前のことに集中できなくなる原因と思っています
それはわかっているんです
だからよそ見っていうのかな、やらないといけないことはわかっているのに気が付いたら別のことを調べだしていて目の前のことは一ミリも終わってない問題

そういう時は、強制的に時間的制約とかどうしてもやらないといけないとか強い圧によってやらざるを得ない状況(お尻に火がつく的な)に陥ったときにはじめて「あ、これやばいやつだ・・・」と認識し始める

こんな風に自分の脳内では色んな出来事が行ったり来たりしているけれど、周りの人はそんなこと知る由もなく、むしろ目の前で起こっていることがすべてだから「とろい・のろま」という表現になるのだと思う

そこでです
今までの私はとろいから、みんなと同じようにできないからダメなんだ・・・と落ち込んでいました
一般的な、常識的な人間になれないことを悔やんでいたのです

だけど、最近の個を大事にする時代となってからは、むしろ自分のこの「できないと思い込んでいる」ことすら個性となってありなんだ!と思える世界に変わろうとしているのかな?とも思えるのです

だから生活にしても勉強にしても仕事にしても、今まで自分はなんてダメなんだと無理やり一般化を狙おうとしてできない自分を責めていた時間はもう必要なくなってきているんじゃないかと思うわけです

じゃあそんな自分が社会で生活の中でどうやって生きていくと自分も周りも楽しく過ごせるようになるのか???

それは色々と模索中の日々です笑
答えまで言えないところが現実的でしょ?

でも、今はこの自分という人間のやっていること
周りからは遅いとかとろい、抜けてると思われてる部分が個性というならば、そこの部分かもしれないし別の得意な部分では天才的な能力があってそこを発揮していけば鬼に金棒、誰にも文句は言わせないよ!となるかもしれない
現にファッションとか歌とかイラストとか好きなことはたくさんあるし、そっちを伸ばしていけたら結果的に今できないことですらこれでいいんだと思えるかもしれない
まぁ、今もこんな自分をダメとは思わずこんな個性なんだな~と受け止めてはいられていますが、本当はもっとできたらな~という気持ちが働くがゆえに「頑張らなきゃ」の鎧を着そうになる

もっと部屋がきれいだったら
毎日おいしいご飯を作れるお母さんだったら
あれやこれやそれや・・・・

これこそ上を見たらきりがないってやつかもしれないですね
私はわたしのフィールドの中で輝ければそれでいいと思えるように
もっと自分に集中していきたいと思います

今模索していることは、自分の個性なのはわかった
だけどそれをどう現実的に変えていけるのか?
個性が別の稼ぐツールとなったりするのか?という、第二のステージについて考えることが多いです
やはりお金は必要だしやりたいようにやって、結果一文無しで生きていけなくなったらそれこそ元も子もないと思うので

難しいけれど一歩ずつ感がむしろ大事だと思います
いまもがいていることはきっと意味があると信じています








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