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中学時代〜部活動〜



私は部活で悩むことが多くありました。
中学時代、私は剣道部に所属していました。

運動すると過呼吸を起こしやすくて、それでも必死に剣道を頑張っていました。
頑張りは外部指導の方に伝わっていたようです。

私の代は人数が少なかったのですが、一個上の先輩たちの人数が多く私は全然試合に出られませんでした
中学1、2年時の顧問は
・年功序列で試合に出させたい!
・同じ学年内では上手な人を試合に出したい!
という2つの条件を持っていました。

先輩方のやる気があれば良かったんですよ…
でも練習はダラダラして、部活やりたくな〜い、やだ〜というマイナス雰囲気…
もちろんやる気のある先輩もいました、部活(先輩)が二極化している状況でした。

そんなやる気のない先輩方に選手の枠を取られるのが悔しくて仕方ありませんでした。

先輩方の人数だけでは個人戦の選手枠が1枠余る
その1枠を取って選手になる!私は練習を精いっぱい頑張って、いつか、いい成績を残すんだ!意気込んで練習していました。
ですがその選手枠は経験者である同級生に毎回取られてしまいます。
ちゃんと実力もあるのは分かっているけど、とっても悔しかった(最初は)

だんだんその同級生が選手になることが慣例化してきて悔しかった。
「今回も、〇〇さん(経験者の同級生)でいいよね?」と顧問が言います。
その子にもやる気があったとは思います。
でも、態度とか、発言とか、人間性に欠けるような部分があって...
なんでそういう人が選ばれるのか理解できず、ただただ悔しかった…

私はやる気はたくさんあったのに体が追いつけなかった...過呼吸になりやすくなってしまった。本当に辛かった。練習したいのに、先生からSTOPがかかってしまうことが多かった。練習をしたいのにできないのは本当に嫌だった

中2の秋、新人戦初めての公式戦出場
とっても嬉しかった。私なりに頑張った。あたりがよかったのか、なんとか勝ち進み、確かベスト16になり県大会出場を決めた。この頃の私が1番動けてたかもな。でもそれが最後の公式戦になった。
そう、コロナウイルスだ。県大会の出場を決め県大会にも出た。でもそれ以来大会はなくなった。やっと活躍できる、大会にも出れると思った矢先の出来事。とてもショックだった。

中3、夏
剣道だけは大会ができなかった。他の部活は県や関東大会には繋がらないが市内の中学が集まって代替大会をしていたのに...剣道だけは勝敗を決めない1回3分の立ち合い稽古。せめて、せめて勝敗決めたかったな。悔しすぎる。今思い出すだけでも涙が出る。悔しかった、本当に。

でもいいこともあった。顧問の先生が選手紹介をしてくれて、「おおともさんは、部内で1番の努力家で」って。とっても嬉しかった。先生がそんなふうに見てくれていたなんて思ってもいなかった。中3になってから赴任してきた先生でコロナの影響で休校になって全然部活なんてできなかったのに、たった1.2ヶ月だったのに、そんなふうに見てもらえてたなんて、私はとっても嬉しかった。

友達のお父さんで時々部活に教えてくれる人が「いい動きしてたじゃん」って言ってくれたのもとっても嬉しかった。確かにその時期、なぜか体が受け付けなくてご飯を食べられなくなっていたから余計に体が軽くていい動きができたのだと思う。

悩みと共にあった2年半の部活、今思えば楽しかったな。
先輩、後輩、同級生、顧問(初代の人は大っ嫌いでしたが)ありがとうございました。剣道部で一生の友達とも出会えました。本当にありがとう。悩みの乗り越え方も学びました。なんだかんだいい時間だったのかな?

あまりうまくまとまりませんが部活やっておいて損はなかったのかも。当時は辛くても、振り返ってみればいい時間だったんだなって。もし辛い人がいたとしたら相談したり、時には逃げてみてもいい。それもそれでいい思い出になるはず。

では、またいつか
2023/04/24

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