見出し画像

中学時代〜過換気症候群〜

ちょっと今回はおもい?話
どうしても共有したかったのでnoteにまとめました。

※これは私の体験談です。
 1人の体験談としてゆる〜く見てもらえればと思います。

【はじめに】

私は正確に診断されたわけではありませんが
「過換気症候群」でした。
正確に診断されてないなら書くな、と思う人もいるだろうと思いますが、
過去に私の電子カルテがチラッと見えてしまったことがあり、「過換気症候群」と書いてあるのを見て、「あっ、そうなんだ」って。
面と向かって「過換気症候群ですよ」とは言われたことはありませんが、電子カルテに書いてあったのでほぼ確実に「過換気症候群」なんだろうと思います。

ついでに言うとこの前(2023/09/08)に大学入学共通テストの配慮申請のために診断書をもらいに行ったら、はっきり『過換気症候群』と書いてありました。

どんな時に過呼吸起こすのか?

最初の頃は運動した時だけでした。
中学生の時、部活で剣道をしていて激しい動きが多くて、ついていけず、過呼吸を起こすことが多くありました。

中学1年冬に初めて出た大会
中体連の公式の大会ではなかったけれど出られて嬉しかったな

【中学1年】

基本的に元気でした。なんなら小学校のときは皆勤賞目指して毎日学校に登校していました。それくらい元気!持久走だけ苦手ではあったけど...
特に体調悪くすることもなく、運動しすぎると過呼吸になることがあるくらいでした。
基本的に式典は大丈夫だったのですが...

卒業式練習で…

2時間通しての卒業式練習
この頃は新型コロナウイルスなんてなかったから在校生も出場するのが当たり前の時代だった。
後半の方で気持ち悪くなって隣にいた小学生の頃から仲良い先輩に「気持ち悪いんで」って言ったのは覚えてる。そのまま保健室にも行った気がする?あんまり覚えてないけど、練習もちょっと厳しかった思い出...

中学1年時の卒業式…

気を張っていたのか分かりませんが、立ったり座ったりを繰り返してボーッとして体が危険を感じたのか、隣にいた(前日練習でもお世話になった)仲の良い先輩に「気持ち悪いんで一旦座りますね」と言ったのを覚えています。
みんなが起立している時に座っている私を見て職員席に座っていた1度も関わったことのない他学年の先生に引きづられるようにして式を退出しました。
それまでは式典で具合悪くする事なんてなかったので自分で自分にびっくりしました。

【中学2年】

中学2年時の入学式…

「あーやばいかもー無事に式終えることが課題やー」
そんなことを友達に冗談半分で言ってました笑
そしたら2度目…!
本当に体調悪くなって過呼吸を起こして、また同じ先生に引きずられる形で式を後にしました。
2度も同じ先生お世話になって申し訳なかった…!!
あとで後輩の母から聞いた話、唇も顔も白かったようです。

会場入り口の椅子に座って過呼吸状態の私を数名の男性先生方が見守っていました。保健室に行くことを勧められましたが、式会場から保健室は遠くて歩きたくなかったので拒み「新入生来ちゃうから、一旦別のとこ行こ」と言われて、体育教官室に1人でいることに...
体育教官室はモノで溢れかえって過呼吸+ほこりアレルギーが反応して目がかゆくなって、喉がイガイガしてしまいました笑(=悪化した)

式が終わりひと段落し、しばらくして新担任が私を迎えに来てくれました。
教室まで私と少し距離を置いて見守る形で付いてくれました。
教室に着くと、座る席が1番前、色んな人に注目されるのが嫌だったのと、座る状態が苦しすぎてどうしようもなかったので教室の後ろで立っていました。
今思えばひどい姿だったんだろうなぁ...(苦笑)

2年生に進級した頃から学年集会・全校集会などの集会では過呼吸になりやすく、過呼吸が始まってしまうとよく担任に連れていかれたり、はじめから集会は退出しやすいように1番後ろに行ったり、(背の順で並ぶため背の低い私が後ろに行くことは珍しい)ひどい時は最初から保健室に。
私は集会が始まってから過呼吸を起こしてしまうのであくまで過呼吸を起こさないよう予防の意味で保健室に行くことがありました。

6月校外学習で…

私は班長を務めました。
苦手な子と同じ班、その子の機嫌を悪くしたらとんでもないことになるかもしれない、無口な男子2人はどう対応すればいいのかイマイチ分からない...
話し合いの時からなんだかうまくいかず、ド緊張状態から始まった校外学習本番!
電車に乗る前から他の班の班長に「大丈夫?」と言ってくれて、何度も私の方を見てくれました。
でも心配されたくなくて、大丈夫じゃないって言ったらどうなるか分からなくて、笑って「大丈夫」と伝えました。

電車に乗ってからもずっとつらくて、でも我慢して…
班行動が始まる前、担任から「やばかったら119しろよ」と言われました。
事前に過呼吸について調べた時、ほとんどのサイトに「過呼吸は大抵の場合15分〜30分で治ります」と書かれていたので、「過呼吸なんかで119なんて呼べない」と思い担任の言葉をスルーしました。

班行動は予定をめちゃくちゃ調べて頑張ったのに全然上手くいかなくて見学場所を1•2個?すっ飛ばして集合場所に1番に到着。

その集合場所であった東京文化会館の写真
高校3年の夏に2年ぶりに行った。
なんかいろいろ思い出して苦しくなった笑

後から担任に聞いた話ですが、私は先生たちが見えた途端よろけながら走ったらしいです笑

担任は初めてのことに焦りまくって本気で119呼ぼうとしていました。

とりあえず母に電話して迎えを頼んでいました。
迎えに行くより帰してもらった方が早いから「とりあえず、帰してください」と母は言ったそう。
集合場所では友達が何人も私を心配して背中をさすったり、声かけてくれたりして、本当にありがたかったのを覚えています。本当に周りの人に恵まれたなぁ…

集合場所から駅まで荷物は担任ではない女の先生(中1の時担任だった)の肩を借りてなんとか歩きました。途中に階段が多くて大変だったのを覚えています。
途中、男子に「おおともー大丈夫かーー」とでかい声で聞かれましたが、呼吸が荒くて喋れる状態ではなくてなにも言えませんでした。
先生が「大丈夫よ、ほら、あとちょっと!」と言い、私をひきづってくれました。先生感謝!!

駅のホームに着いて私はみんなと離れたところの椅子に座り電車が来るのを待ちました。遠くからのみんなの目線が気になってしまったのは今でもはっきり覚えています。荷物はぜーんぶ担任に持ってもらいました。重い荷物まで持っていただいて申し訳なかった...!

帰りの電車内は担任が私に付きっきりでした。
校長先生も心配しに来て...気まずかった...
さっきまで集合時間に間に合わない班が多い!って激怒してた人がいきなり優しく心配しに来たら、そりゃ嫌だし、気まずい。

落ち着いたら担任と絵しりとりしました。何か別の作業をすると落ち着くっぽいです。流石にピークの時は手足が痺れたり、こわばったりして、なにもできませんが…笑

マラソン大会

途中からとっても苦しくて2.2kmを走りきった後、
よろけながら体育倉庫の前に腰掛けました。
しばらく友達がずっとそばにいてくれました。
先生に「歩ける?」と聞かれた時、頷いたはずですが...動きが小さかったのか、伝わらず...
担架を持ってこられて担架で保健室まで運ばれました。体育の先生が保健室まで心配しに見に来てくれました。

落ち着いたら、そのあとは特に何事もなく学校生活を過ごしました。

運動性の過呼吸は割と治りやすい傾向にあったようです。
それでも30〜40分は最低でもかかっちゃいますが笑

【中学3年】

修学旅行の班決めで…

コロナ禍真っ最中でしたが一応、行く方向で考えられていた修学旅行。
中2の時の校外学習と同様に今回も班長に選ばれました。
班長が班決めをする班長会議が終わった後、
どんどんつらくなっていきました。呼吸はどんどん速くなり、どこからか溢れる不安感、しばらくしても治らない...
動きたくなかったのですが、担任が一緒に班長会議をしていた友達に私を保健室に連れていくように指示して保健室まで連れて行かれました。
保健室に行っても全然治らず、そのうちに先生方が集まってきたのを明確に覚えています。
学年主任・校長・教頭・担任・副担任…
少し治った?と思ったらまた呼吸が速くなる...
そんな繰り返しでした笑
先生たちが話し合って、どうするかの対応を考えていました。

きっと1年前の校外学習のように失敗したら私に責任が全部くる、それは嫌だ、そう思っていた気がします。
そんな風に考えすぎて苦しくなっていったのかなぁと
振り返ります。

ちなみにこの修学旅行は幻となりました笑

先生方の話し合いの後、タクシーで近くの病院を診察し、30分〜40分程の点滴を打って帰りました。
これが人生初の点滴でした笑

中学3年生の時、日常的に過呼吸を起こすようになりました、部活、体育大会練習、給食、テスト…
過呼吸と同時に視界がぼやける症状も起こるようになりました。

中学3年時、定期テスト…

私は中学3年時の定期テストをほぼ毎回、別室受験していました。
2時間目か、3時間目くらいで過呼吸を起こしてテストを中断してしまう...
別日にテストを受けると参考点になってしまうので、参考点になりたくなくて意地でもその日のうちに、時間をずらしてでもテストを受けていました。
先生方にはめちゃくちゃ迷惑をかけました...
ごめんなさい!!

1学期後半から給食も別室...
お昼ご飯を食べることすら出来なくなりました。
スープを一口飲めればいいくらい。
そのおかげで5キロくらい痩せました笑

2学期後半にはなんとか教室で食べられるように...!
12月には完食できるほどに食欲が復活!
長かった...5ヶ月近くもかかった...
どうやら学校ではずーっと緊張状態が続いていたようです。

体育大会…

体育大会では400m走に出場しました。
走り終わって達成感とともに過呼吸を起こしました。
本当に走り切ってよかった。ただそれだけでした。
苦しかったけど出られてよかった。本当にその思いだけでした。
運動して起こした過呼吸だったのでそこまでつらくなりませんでした。でも長引いちゃって親に迎えを頼みました。先生の私物の携帯で呼んだなぁ笑

卒業式練習で…

卒業式練習は苦しくてつらくてたまりませんでした。
静かで、緊張状態で、座ったり、立ったり...
「ちゃんとしなきゃ」と思って(思いすぎて)気を張るので疲れてしまいます。
しばらくして「このままだと大丈夫かな?」「大丈夫大丈夫落ち着け...」自分で自分を落ち着かせますが...
なんだか不安感が襲い過呼吸に...
練習を途中で抜けて後ろで見学することもしばしば...
見学途中に何度も椅子から落ちることもありました。
こんな状態が続いていたので卒業式は正直出なくてもいいかなって思っていました。
だってこんなにつらい思いするのは嫌だった、もうこりごりでした。

卒業式…

卒業式はなんとか参加できました!
ちゃんと最初の入場から最後の退場まで!いま考えたらよく頑張った!わたし偉いぞ!!
ほぼ全ての卒業式練習で過呼吸を起こしていた私が「卒業式に出よう!」と決めたのは、とある先生がきっかけでした。

そのお話を少し…

中3の4月に赴任して剣道部顧問をしてくれた先生
3月のはじめの週にいきなりその先生に呼ばれました。なんで呼ばれたのかが心当たりがなくて、呼び出されるってことは怒られると思って身構えて教室に向かいました。
初めて行く教室、私は1番前の1番教卓に近い席に座り、先生は教卓に。
急に面談的なものが始まりました。
「最近調子良くないらしいな?」みたいな感じから始まった…細かいことはよく覚えていないが当時の自分が残していたデイリーライフの記録をもとに思い出せることを思い出す。
まず、中学最後の大会(交流会)のことを言われた。「今までで1番よかった」って言われたらしい。正直今更交流会のことなんて言うなよとか思ったりしたが、褒められて嬉しかった部分もあった笑
「本番以外は弱い」みたいなことも言われた。
これも交流会のことをもとに言われたっぽい。

「卒業式に出ろ」みたいなことは言われた…これはすんごい覚えている…!!
「お前は本番に強いんだから大丈夫、職員席お前をまっ正面に見られるところに座って見届ける」
「お前が卒業式に出られることは俺が保証する」
って言われました。
多少の文言は違うかもしれないけれど…

当時のデイリーライフが残っていた。
文字が汚すぎるので写真は控えます。

呼ばれたその日のデイリーライフには、
『私は本番以外弱いそうです。
交流会のこと今更言われました。一番良かったらしいです。お前は自分の為の卒業式を出ろ。って自分の為の卒業式にしな!って言われました』と書いてあった。

次の日のデイリーライフには、
『昨日は「他の人は親に成長した姿を見せるためとか、親とか先生に感謝の気持ちを伝えるため。って言う理由があるけどお前は卒業式に普通に出てそれを自信につなげて今後を生きて欲しい。だからお前は誰かの為とか考えず自分の為の卒業式にしなっ!」って言われました。ということで…卒業式出ます!「出る・出ない」が何回も変わって申し訳ありません。

追記:私がちゃんと卒業式に出られることはH先生(元顧問)が保証してくれるそうです。』と書いてあった。

このデイリーライフを読んで分かった人もいるかもしれませんが、私は元顧問との面談(?)をする前までに卒業式に出ない方向で担任と考えていました。
でもこの面談(?)を終えて私は出る方向で考えました。それが卒業式の1週間前、超ギリギリ笑
「無理だったら先生のせいにしよ」って内心思ってたなぁ笑
それで卒業式終わった後に「ほら、無理だったじゃん!」って言う気だったんだと思う。

卒業証書授与の時に席を立ちステージに向かう時、本当に真ん前に元顧問が座ってました。時々、視界がぼやける症状があったのですが、あれは間違いなく元顧問でした。まるで睨むかのようにこちらをじっと見ていました。

卒業式に無事に終えて、教室に向かう途中で今までの不安感がドバッと溢れて結局過呼吸になりました笑
教室に向かう途中に「おおともーだいじょうぶー??」って友達が前の方から呼びかけてくれました。
でも私は大丈夫でした。
なぜなら、卒業式に出られて嬉しい気持ちが大きくて、過呼吸になって「つらい」よりも卒業式に出られて「よかった、無事に終わった」が大きかったから。
気持ちが前向きだったから、なんとかなりました。

そして教室に元顧問が来てくれました。
なにを話したかも覚えてません。褒めてくれたかどうかも覚えてません。だってあの人は一筋縄ではいかない先生だから笑
「言った通り大丈夫だっただろ?」って卒業式自体のことを褒めてくれた後、「どーしたんだよ!」って過呼吸になったことをつっこんでいたような?
きっとこんな会話をしたんだと思います笑

とりあえず、わざわざ教室の方まで来てくれて嬉しかった。もっと話したかったのにクラスのホームルームが始まるからって元顧問はすぐに去ってしまった。

卒業式が終わった後、友達同士で写真を撮ったりして終わり。家には自転車で友達と一緒に帰り、その後の二次会?的なのも行こうと思ったけど疲れて、頭も痛くて行くのやめちゃいました。お母さんに「行かなくていいの?」って言われて「行かないって連絡した」と伝えたら、ちょっと悲しそうな目をしていた(気がする)
疲れていたので、寝た。起きたら楽しそうな写真がクラスのLINEにたくさん送られてきていた。いいなぁと思ったけど、羨ましい気持ちにはならなかった。多分行ってたら疲れでぶっ倒れてたと思う。

夜の食事には参加しました。
夜、家族とご飯に行こうと準備をしていたら、お店がまさかの隣だと判明!
お母さんに「ごはんはクラスの子たちの行きたい!」って頼んだら、快く「いいよ」って言ってくれて、送迎までしてくれた。母ありがとう。
ご飯を食べ終わった後にはコンビニでアイスとか買ったり雑談をして楽しい時間を過ごしましたとさ♪

【高校は?】

高校に入ってからは少しずつ良くなっていきました。

「高校に入れば変わる」「中学だけ我慢すれば大丈夫」と心のどこかで思っていたからかもしれません。そのためか、高校に進学してからはそこまでひどくありません。
でも時々「あっやばいかも」と思う時がありますし、たまに過呼吸を起こします。
高校のことは次の機会にお伝えするとしましょう!

【最後に】

我慢のしすぎはよくないですが、
どこか心の中で逃げ道を作るのがひとつの手だと
今、中学時代を振り返って思います。
私の場合は密かに「高校に入れば変わる」と思っていたので、高校に進学してから、本当に過呼吸になることが少なくなりました。
コロナ禍のおかげでリモートの全校集会が増えたのも一理あるかもしれませんが。

※これはあくまで私の体験談です。
全ての過換気症候群の人がこうなるとは限りません!


もし、過呼吸で苦しんでいる人がいたらこれを見て元気づけられることはないかもしれないけど、こういう人もいたんだなって思ってもらえれば、少しは心が楽になると思います!

いつか、高校編も投稿します。
⚠︎いつになるか分かりません!

では、またいつか。

2023/02/15に書いて、
2023/09/09に書き加えたりした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?