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中学時代の文集を読み返したら…

部屋の片付けをしていたら、中学時代の学校文集を見つけた。
学校文集とは、1.2年生がおよそ原稿用紙半分、3年生がおよそ原稿用紙1枚程度の作文を書いてまとめたもの。全校生徒の文章とおまけに先生たちからの言葉、各部活、委員会の部長、委員長の作文なんかもある。部活動の成績とか学校代表の読書感想文、少年の主張なんかもあって、意外と読んでみると面白い。部屋の片付けの途中に見つけ、つい読み漁ってしまった。

1年生の時、私は林間学校での思い出を中心に1年間を振り返っていた。(このnoteの上部にある写真はその一部)
カッターで遭難したこと。体育大会と合唱コンクールがどちらも学年で1番良い成績だったこと。
そういえば、この年は隣の男子の作文も身代わりで書いた記憶があるような、ないような。

当時、出来上がった文集を読んで素晴らしい文章を見つけた記憶がある。
仲の良い先輩が文集を書けないその心境で200文字を埋めていたのだ。これには感動した。それと同時にこんなことを書いていいのか、とも思った。

そして2年生になり、
私はその先輩の文集を忘れられず真似をした。作文が書けない心もちだけで200文字を埋めた。そういえば先輩の作文はどうなんだろうと思い、また読んだ。
この年も、さすが先輩。まず前置きが素晴らしかった。
私の作文を読むより校長先生のありがたいお話を読んだ方がいい、との前置きからの、「来年はもっと濃い内容を書こうと思う」と昨年度に宣言していたが、結局書けなかった話をつらつら。
やっぱり先輩には負けたと思った。惨敗。

そういやこの年は後輩の文章を考えた。大した内容ではないけれど。書き切ることが目標!って言うからテキトーに思いつくことを言ったら、後輩が言った言葉をそのまま書き写していた。まぁ、それも思い出になるさ。

この年、私は文集編集委員になった。
文集編集委員は、各クラス2名の選ばれし者。
といってもやりたがる人は少なくて手を挙げれば誰でもなれる。私はやりたくて仕方なかった。

クラス紹介を書きたくて文集編集委員になった。
文集編集委員会の仕事内容はクラス紹介を書いたり。クラスの余白スペースの使い方を考えたり。誤字脱字の確認。そう大した仕事ではなかった。

この年のクラスの余白は私が決めた。
1年生の時、余白はクラスの子が描いた絵とクラス写真に終わってしまった。なんだか文集らしいことができなかったのが残念だった。2年生になったら文集らしいことを.と思って、昨年度他のクラスがやっていた「クラスのみんなの好きな言葉」をまとめることにした。
クラスのみんなに「好きな言葉」をクラス全員に考えてもらいまとめた。もちろん担任の先生にもお願いして書いてもらった。
みんなの好きな言葉を手書きで原稿用紙に写す作業は面倒だけど楽しかった。

3年生
本当に書くことが思いつかなくて、2年連続で作文を書けない思いを書くのはなんとなくつまらないと思ったのか、席が近かった男子に書いて欲しいテーマを決めてもらった。その結果は当時、幾度となく流れていた某金融会社のTV CM「そこに愛はあるんか…?」についてだった。
多分その男子もふざけて言ったのだろうけど、真面目な文章が続く中ふざけた文章を書く人が1人くらいはいないとつまらないだろうと思ったのか、当時の私はノリノリで書いた。
テーマを決めた男子は困惑していたように思う。「いいよ、書かなくて。」と笑いながら言われたが、私はなんとか振り絞って書いた。放課後に勉強を教えてくれていた大学生ボランティアに聞いたり、担任の先生に聞いたり、なぜかふざけた作文を書くことに一生懸命になった笑

そしてできた作文がこちら!と見せたいがどうなんだろうか?見せるべきか、見せまいか。悩ましいが、これは文集を持っている人の特権ということで見せるのはやめよう。

…ってあら、載せてるじゃん笑
10分くらい本気で載せるか載せまいか本気で悩んだが、迷うんだったら載せてしまえ。
載せて後悔した方がいい。『やらないで後悔よりやって後悔。』これは父親がよく言う言葉。父親の教えを大事に守ったということにしよう。

前半「人はパンのみにて生くる者にあらず」は先生とのやりとりをするデイリーライフに載っていた。聖書の言葉らしい。


後半
最後は問いかける形にしてみた。
上手くできたと当時は思っている。なんなら今も思ってる。

この作文を高校の友達に見せたことがある。その友達には「厨二病っぽい内容だね。」と言われた。

この年は文集編集委員の委員長を務めた。

まず、文集編集委員としてクラスの余白のスペースには「10年後の自分へ一言」を書くことに決めた。
クラス全員に書いてもらってそれを清書した。みんなの言葉が面白くて楽しみながら清書した。文章が長い人に関してはどうすれば見やすくなるか考えながら書き写したのですごい時間がかかって大変だった。自分の勉強をやりたかったのにこんな作業をして当時は嫌になっていたけど、今ではそれもいい思い出。

私は当時哲学が好きだったので、「生命の畏敬を学ぶために頑張ります!!」と残していた。大学生ボランティアと一緒に考えたそんな記憶が思い出される。

そして、文集編集委員会委員長の目玉の大仕事がある。
それは「編集後記」だ。今までの先輩が書いた「編集後記」を見るとなんだか堅苦しいような、しっかりした文章。私はちょっとふざけて、でもちゃんとした文章を書きたかった。そして私は新型コロナウイルスの流行のことについて語りながら「編集後記」を書き上げた。当時はふざけていると思っていたが、今読み返すと意外としっかりした文章に仕上がっている。過去の自分すげぇ。こちらの文章は恥ずかしいので見せない。

文集の最後のページをめくると、編集後記とともに、文集編集委員長の名前にしっかりと自分の名前が載っている。紛れもなく自分の名前。

編集委員長 大友悠楓

なんだか今見返すと誇らしく感じる。

楽しかった中学時代の思い出が今懐かしく思い出される。
濃かった3年間。あっという間な3年間。
文集を読み返して少し元気がもらえた気がする。

高校の学校文集では1.2年生は文章が書けないし、3年生になっても3行程度しか書けない。

ちゃんとした文章が書ける文集は中学時代だけだったかな。

文集という青春。私の思い出。

2023/08/16

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