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【MBTI】私にとってのNe (外的直観)【ENFP】

いつもながらイブリース氏の記事と考察、そして言語化能力は的確で素晴らしい。
とても納得させられた。

デジタルチックなMBTIを個人に応じてアナログのように細分化し自分の中に落とし込めるので心理機能の話は大好きだ。

私はENFPなので主機能はNe (外的直観)であるが、昔からなんとなくこれを自覚してはいた。
機能に名称があることを知ったのは類型論を学び始めてからである。

簡単に言うとNe(外的直観)とは

全体像を捉える。
一見無関係なものを繋ぎ合わせる。
新しい可能性を見る。
向上心、ポジティブ、チャレンジ
思考のスイッチ
新しいアイデア
オープンマインド


かのアルキメデスが風呂に入ったときに、水が湯船からあふれるのを見て、瞬間的に「アルキメデスの原理」思いついたのもNe(外的直観)である。と言える。

しかしイブリース氏の記事にもあるように、社会人とくにサラリーマンにNeはあまり必要とされない機能である。
企業で求められるルーチンワークには好奇心やひらめきは必要ない、むしろ邪魔にすらなる。
トラブルやハプニング対処には大活躍するが、大きく円熟した組織であればそういったことも制度化、マニュアル化されているであろう。
こうしてサラリーマンとなった者のNeは年齢とともに徐々に鳴りを顰めていくのであろう。

言われてみれば確かに自分が20代の頃より徐々にNeが落ち着いていっている感じがある。
心理機能診断などでは今だにNeがとにかく高い値で出るのだが。

消えた、というより、生きていく上で自分で意図的に抑制しているような感覚はある。もしくは第二、第三の心理機能の発達によってバランスが取れたため安定したのか。

例えば、何かのプロジェクトを進めていく会議などを行っている際に、ほぼ確実に起こりうるトラブルが予測できたり、もっとシンプルで効率的な方法が見えることがある。
しかし組織のこのような会議では、末端の個人がふとひらめいた根拠の乏しいものを言葉にするのは良しとされないことが大半だ。
言ったところで「起こってもいないことを言うな」や「可能性を増やすな」と言われるのがオチだった。

ひらめきを組織に反映させるには、まず組織内で競争を勝ち抜いて出世し「上から」言及するか
ひらめきが事実である根拠を提示して、全員に理解できるよう見せる手順を踏む必要があるだろう。
これは正直面倒に思うので、実際はひらめきは口に出さずに個人の裁量の範囲内で小出しにしている感じである。
このような過程を繰り返すことで私のNeも漏れなく抑圧されているのであろう。
いずれにせよ若い頃のようなインスピレーションを無意識で得られることは減っている。これは私の中での事実である。

しかしまだNeを働かせようと思えば自由に働かせられるので、消えてはいないのだろうと思う。というか思いたい。

私の中での主観であるが
【ENTPやENFPの講師の講義は面白い】
というものがある。

岡田斗司夫や林修をイメージしてもらうとわかりやすいだろう。
例え話や話の緩急の付け方、アドリブの強さ、話のスイッチの上手さ
何より物事を様々な視点から見つめて、想像できる範囲内の未来を、その場に適した例え話を使って論理的に、またはドラマチックに話すことができる。
これぞ主機能Neの賜物だと思っている。

これは自認がENFPの私も自覚するところであり、実際にフィードバックをもらっているところでもある。
おそらくある程度知識のある分野であれば、今この瞬間に振られてもまぁそれなりに面白く話ができると思う。
好奇心があらゆる方向に散ってしまうためか、ADHDとの関連もあると言われてもいる。
とかくNe主機能者は生まれ持っての解説者、talkerなのだと思う。

この慣れ親しんだNeが組織に所属し年齢を重ねることで衰える、もしくは消えていくというのは悲しい話だ。

これを【Neである】と自覚したのは最近だが
それは確かに幼少期より私と共にあった。

子どもの頃から
月を見て、雲を見て思うこと
見知らぬ車を見て、運転手の横顔を見てその行き先や背景を想像すること

もしかしたら…と何かをひらめき、好奇心の赴くまま物事を調べまくり、人に得意げに話していたように思う。
そうして目立つこと、他人に喜んでもらえることが嬉しかった。
もしかして…と思うことがピタリとはまっていることがあると嬉しかった。
親や他人の喧嘩をみても、どちらに肩入れするでもなく、お互いの価値観の相違である。とわかっていた。
ひとたびNeのスイッチが入ると、初めてのことでも周囲の誰よりもコツを掴むのが早く上達も早かった。

その分飽きるのも早いなど、この機能で苦しめられたことも多々あるが、私にとっては大切な相棒である。

つまり消えちゃヤダ なんか泣きそう(NFP感)


だからこれからもNeを出せるシチュエーションでは意識的に思いっきり使ってやろうと思う。

そのためにnoteはすごくありがたい。
思考を文章にしていく工程でNeが働いて、文章が、内容が、いろんな方向に拡散して、ブレて動いていく。さらにそれがまた思考の中で別の事象と繋がっていくのがとても心地良いからだ。
1人ブレインストーミングのような感じだ。
以前chatGPTなども試してみたが、あちらはどちらかと言うとTi(内的思考)やNi(内的直観)向きな気がする。やはりnoteがいい。

あれ、そう言えば最近YouTubeで見る岡田斗司夫の元気がないのはもしかしてNeが衰えているせいか?
などと考えるのも、これもNeのせいか。


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