『誰かの為』じゃなく『誰かの為にも』生きること

人は『一人』では 生きられるけど 生きづらい。

きっと 誰もが 感じている。

だから 協力する。

それは『する側』にも『される側』にも なるということ。

結果的に 辿り着くのは『1人』ではない。

という 真実だ。

そこに 抗ったところで 仕方ない。

一向に 進めないだけだ。

だったら 助けを求めて 助けを実行して 支え合った方が 進める。

知っているはずなのに 中々に 実行出来ない。

それは『プライド』が あるからなのだろう。

『プライド』って『誰に対して』持つものなのだろうか?

いつも 競い合っている ライバルなのか 仕事なのか 趣味なのか。

『モノ』は なんだっていい。

ただ その矛先は いつでも『自分』に 向けること。

そうすれば 競い合うことも 誰かを責めることも 無い。

誰が 怒られたくて 生きてる?

誰が 怒りたくて 生きてる?

その『時間』を『自分の為』に 使って 己を磨いてさえいれば いつか『誰かの為』になる。

そもそもを『他人』に 置いていては 振り回されるだけに 決まっている。

見えないのだから。

分からないのだから。

『未確定要素』に 囚われているなら『確定要素』を 増やしていけばいい。

その中の どれか1つにでも 引っ掛かってくれれば 御の字だと 本当に 思う。

『誰かの景色』は 見えなくても『誰かと一緒に見る景色』は 一緒に 見れるのだ。

何度でも 伝えたい。

『傍に』居るから『近い』のではない。

『遠くに』居るから『遠い』わけじゃない。

ベースの自分を しっかり 持ちながら 他人に 関わっていく。

それが『誰かの為』じゃなく『誰かの為にも』に 変化していく。

人との距離感って そのくらいが 丁度よかったりする。

自分を見失ってちゃ 誰かを 導けはしない。

お互いが 標した道を 通りたい時に 通り合う。

それが『ベスト』なんだと 私は 言い切る。

まずは『自分の為に』生きていこう。

その先で あなたに 出会えたなら それが 1番の幸せだ。

また 会いたい。

それぞれの光を蓄えて 照らし合う。

昼夜を問わずに 道を示す『標識』のように。

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