本当の自由とは?
思えば私はいつも自由を追い求めていました。
でも本当の自由とは、、、?
好きなこと好きな時にして時々休みまた適当に歩き出す。
そんな生き方に憧れて学生時代からもがいていた気がします。
いや、もがいていました。
物心がつくのはいつからでしょうか?
私はまだ子供がいないので客観的には分かりませんが、私は幼稚園のころから違和感がありました。
どうして親のエゴを押しつけられなければいけないんだろう?
当時エゴという概念は知りませんでしたが違和感の正体はエゴでした。
ひとりっ子で長女の私は親に大事に育てられたんだと思います。
でもなぜか、親の見栄のための行動が感じられてとても違和感がありました。
小学校は3回転校したからでしょうか?
中学では人と関わるより本を読んでいる自分に浸っていました。
本も友達が分厚い難しそうな本を読んでいた影響で読み始めたものでしたが、学校の勉強より多くのことを教えてくれている気がしました。
図書館に行って本を借りて学校をサボって川辺で本を読むのが好きでした。
親も私を愛してくれていました。
だからこそ危ないことはさせたくないと私がやりたいこと興味があることはダメだと許しませんでした。
親が愛してくれていることがわかっているけれど、自分が安心したいがために私の好奇心や興味を奪うことに私は腹が立ってしかたがありませんでした。
反抗期というやつですね。
その頃から強く強く自由を望み、強くなりたい、自由に生きたいと思うようになりました。
早く自由になるには、早く働いた方が良いと思い、18で働き出しました。
一応世間では有名な大手企業に就職できましたが、いわゆるブラックな企業でした。職種がね。もうね。
親元から早く離れたくて転勤がある企業を選びました。
そして、待ちに待ったチャンスが訪れ、転勤できるかもと言う時、
「まだ入ったばかりの貴方に何ができるの?」という理由で親に反対を受け、未成年の私は親の承諾が得られず転勤は夢と消えました。
そんなこんなで「自由」を夢見て必死で努力してきました。
有り難いことに、今、私は自由を手に入れました。
本当に周りの皆様のお陰です。本当に有り難いことです。
好きな時に好きなことをして、時々休みまた適当に歩き出せる地力がつきました。
ですが、「自由」を手に入れてみると、「わたしはもっと人の役に立ちたい。」と思うようになりました。
私の「やりたい」は叶った。だからみんなの「やりたい」を応援したい。みんなの笑顔の応援がしたい。
そうやって私はサボーターをすることにしました。
すると、やりたいことが多すぎて忙しくなり疲れてしまうようになりました。
あれ?なんだか本末転倒じゃないか???
塩梅というのがまだまだ私は分からなくて、全力投球してしまいました。
現在進行形で、自分だけの豊かさではなく、私の応援したい人も豊になって欲しいというエゴがあります。
だからこそ、忙しくて疲れてしまったり、気力を使い果たしてしまったり加減が難しいのですが、やりたいことをやっているはずなのです。
自分だけの自由に飽きてしまったといえばとても贅沢ですが、
ゆったりした時間、素敵な空間、浸る快感。
それを満喫しても、いつもそれだと慣れてしまいます。
この幸せを誰かと共有したくなります。
ひとりでゆっくりまったりするのが私は好きです。
誰にも気兼ねなく時間を贅沢に使えることに幸せを感じます。
でも、毎日ひとりキリだと寂しくなります。
贅沢な話ですが、人間はひとりでは生きていけないんだなと実感します。
自由を求めて、やりたいことをやりたい時にやりたいようにできるようになっても、人のために何かがしたくなり、そしてまた自由が制限される。
矛盾だらけの世の中で、自分で矛盾を作り出している不思議。
ただタスク管理ができていないだけ?
ではないような気がしています。
自分が昇華できたから仲間により良くなって欲しい。
そんな当たり前なことを人見知りしないけどコミュ症な私は漸く知ったのでしょう。
子供の頃大人だと思っていた歳は、その歳になるとまだまだ子供だと思うものですね。やっぱりなってみないと、やってみないと分からないことだらけです。
まだまだ天邪鬼になってしまう私もいます。
もっと高尚な大人になりたいものです。
本当の意味での自由を手にしたいと思う今日この頃です。
ありがとうございます。嬉し過ぎて小躍りします。