前回、この記事を書かせていただいてから、はや半年ほどが経ってしまいました。
この記事のおかげで、みなさまから温かい応援をいただきました。
15000回以上のView数をいただきました。Twitterのフォロワーが100人足らずだったのに、記事を公開したところ瞬く間に1000人を超えました。
みなさまからの声援に励まされ、本当に今日まで走ってこれました。この場を借りて、心から御礼申し上げます。もちろん、これからも、さらに走り続けます!
シリコンバレーの風の正体
さて、
1つ目のnoteを書いて以降、よくこのご質問をいただくようになりました。
風は無味無臭、私自身も風の正体を掴めている訳ではありません。
ただ、結構強めの風に吹かれました。姿も考え方も変わり、8年ほど所属していた法律事務所を退所し、これまでのキャリアを捨てました。
この風は何だったのか?
自分なりにこの風の正体を考えて見ると、
でした。
「多様性(Diversity)」 ここ数年、特に耳にするようになった言葉です。
言葉は知っているけれど、正直なところ、あまり自分ごととしてイメージできていませんでした。
多様性(Diversity)について話をするとき、
「種」や「 性別、人種、国籍、宗教、年齢など」などがよく対象としてあがります。
私のいう「多様性(Diversity)」には、これらに加えて生き方も含んでいます。
辞書でその意味を引いたことはありません、本来的な意味とは違うかもしれません。
しかし、Berkeleyで生活するうちに、多様性(Diversity)という言葉に血が通い始めました。
Berkeleyでの生活で感じたDiversityのチカラ
もちろん、Berkeleyやベイエリアは、アメリカの中でも非常に特殊な地域です。Diversityを掲げながらも、歴然とした人種による格差、貧富の格差など、様々な社会問題を抱えています。また、保守的な言論を許容しない異質な雰囲気もあったりします。物価も非常に高く、ホームレスもたくさんいます。実際、これを書いている今、アメリカのニュースやTwitterを見ていると、これらの問題の根深さを感じます。
ただ、私は、Berkeleyで生活し、Diversityという言葉に血が通っていくのを感じました。そして、弁護士をやる中で凝り固まってしまった自分の思考が風に吹かれるようにほぐれていくのを感じました。
そんな中で、GoogleやFacebookなどのテック企業のキャンパス、そして大小問わず多くのスタートアップなどに行きました。そこで働く人たちを観察し、実際に話を聞くと、こんなことを思うようになりました。
一方で、日本に一時帰国すると、見た目にしても、生き方・考え方にしても、Diversityのなさに強い違和感を感じるようになりました。どちらかというと「生き方・考え方」の方に強い違和感を感じました。
偉そうですが、日本からグローバルプロダクトが生まれずらい理由がわかった気がしました。
Diversityのない社会では遊びや逸脱が起こりにくく、仮に起こっても同質性に起因する批判などが起こりやすい、だから、日本は「出る杭は打たれる」と言われるのでは、と感じました。
こんな感じでここまでつらつらと書いてきたことが、僕にとって「風」なんだと思います。
シリコンバレーの風に吹かれる前の自分は、
何か「こうあるべき」という自分の縛りに縛られていたような気がします。
「縛られていた」と言っても、今思うと、縛っているのは他者ではなく自分自身でした。