死にたい人を救うということ

医師一年目に、自殺を試みて生死の境を彷徨った男性を担当したことがある。同業者の中には、そんなに死にたかったなら逝かせてあげたらいいのに、という人もいた。私はただ毎日彼の全身状態をみてひとつずつ対応するのに精一杯で、彼の生きる意味なんて考える余裕はなかった。自殺者の命を救うのは善か悪か、そんな議論があることも知らなかった。結局、過酷な治療を乗り越え彼は生き延び、自分の治療のために全てを捧げた妻の愛に気付き、もう同じ過ちは繰り返しません、死のうとした自分を救ってくれた医療者のためにも、妻のためにも、と言って退院していった。
だから、私は自殺しようとする人を救うのは善だと信じる。彼らは抗えない闇に一時的に飲み込まれてしまったけど、もう一度生き直すことができれば、彼らの心にふと優しい風が吹いて、自分には生きている意味があったのだと気付けるかもしれないのだから。

だけど医師として働く中で死にたいと思ったことは2回あった。今思えばどちらも過労状態で生命機能が限界だった。死のうという精神状態の背景には、理屈じゃなくて、ホルモンとか睡眠不足とか疲労とか健康状態の問題が一番大きくあると思う。心も体も灰色の霧が心に広がってまともな頭で考えられないのだ。とにかくインプットもアウトプットもせず自分の殻に篭って嵐が過ぎ去るのを待っていれば心に少しずつ晴れ間が出て来て、冷静になって大切なこと(悲しませたくない家族のこと、自分は社会に貢献できる人間だということ、この世界への好奇心)を思い出して、気付いたら忘れていられた。死に走らなかったのは、自分の今のこの闇は一時的なものだ、必ず晴れるのだ、と信じる力がかろうじて残されていたからだ。

でも、過労状態でも休息が取れない時、病のためホルモンバランスがコントロール出来ない状態の時(うつ病など)には、待ってもまともな頭に戻れないのだ。それはかなり危険で、苦しくて、何とか、どうにかしないといけないのだ。自分も、周りも、何とか察知しなくてはいけないのだ。そのためにはどうしたら良いのだろう。それはやはり、休みを制度化すること、精神科受診の敷居を下げること。それから、日頃からあなたがいてくれてよかった、と伝えあうこと。周りの人が感謝を伝えてくれることによる自己肯定の力ってすごい。
でも、問題がそんなに単純じゃないのは分かっている。ただ言えるのは、自殺をするのは動物の中で人間だけ。自殺を考える時、人は病を負っているのだ。そして、その社会的・精神的な病を治し、明日もあなたに生きていてもらうためのチャンスを、私は医療者として逃したくない。

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