韓流ドラマ「サイコだけど大丈夫」に救われた話

このたび、本当に素晴らしいドラマに出会いました。

ドラマはほとんど見ない私ですが吉本ばななさんがブログで「これがヒットするなら人類はまだ大丈夫」と絶賛されていたので興味を持ち、このためにNETFLIXに登録しました。

幼少期に両親を亡くし、自閉症の兄のために自分の欲や感情を一切捨てて精神病院で保護士として淡々と働く青年が主人公です。彼ら兄弟が、パーソナリティ障害ばりばりの空気読めない自己中心的な女性童話作家と出会い、ぶつかり合いながら、お互いのいいところも悪いところも引っ張り出しあって少しずつ理解し合う、その交流を描いたドラマです。一話から、心の奥に隠していた痛みや苦しみをそっと癒してくれるドラマになることが伝わってきて、次々と進めるのがもったいなくて、じっくり考え事をするように一話ずつ味わいました。

誰しもが、登場人物の持つトラウマほど大げさなものではなくても、多かれ少なかれ、恐怖、不安、羞恥を隠し持って生きているのではないでしょうか。それは、調子が悪い時には深く突き詰めてしまって心の中でどろどろしたホラーになってしまうことが私たちにはあるのではないでしょうか。そんな(医学的診断にはぎりぎり当てはまらないくらいの)不器用さをいろんな方法で隠して暮らしているけど、「それでいいんだよ!」というのがこのドラマからまっすぐ届けられたメッセージのように思いました。このドラマの演出家の方が「サイコ」とは「普通」に生きられない不器用な人たちだとおっしゃっていましたが、描かれる主人公たちの感情の揺れ、精神病院の患者たちの人生とその痛みに、じゃあいったい「普通」って何?誰もが少しずつ「サイコ」なんだ、と心がかるーくなったのでした。このドラマがヒットしたってことはこんなにもたくさんの人がこの考えに共感していると言うことで、それをばななさんは人類はまだ大丈夫!と言ってくれたのだと思います。

このドラマでは、気を遣い続けて感情をしまい続けていたひとが、気を全く遣わない感情剥き出しのひとに出会い心がほぐれていく、そして気を遣わず感情剥き出しの人も誰かのために心をくだくということを知っていく、その経過が面白く描かれます。そこにはお互いを決してあきらめない、分かりにくいこの人を理解したい、という人間的な優しさがあって、そこが本当に美しかったのです。しかしながら、「辛い過去も乗り越えて一緒にがんばって生きていこう」と言うエンタメ業界に普遍的なメッセージを偽善者と言い切り、綺麗事では乗り切れない苦しみまで描こうとしたこのドラマはすごいと思いました。これほどの苦しみを乗り越えさせるものは何なんだろうと哲学的なことを考えながら見ていました。

それは、(わたしの解釈では)人の温もりでした。キリスト教的に言うと愛になるかと思われるもの。アドラーが対人関係の中にこそ救いがあるといっていたところのもの。自分を思ってくれる人たちの優しさ、暖かさが、最後は人を救う。そこだけ読むと使い古された常套句のようですが、人間は複雑な思考・複雑な感情に振り回され紆余曲折した結果たどり着く結論は実にシンプルみたいです。すとんと腑に落ちる、深くて大好きな結論でした。

そのほか、このドラマが与えてくれた貴重なメッセージを2つだけ抜粋します(ほぼiPhoneメモまま)。*美しい過去をより美しく、痛い記憶をより暗く、私たちは編集する。可哀想な私をどんどん増幅させて、自己憐憫の媚薬に浸る。そこにはこんなわたしでも愛してくれって言う相手への甘えや苛立ちが背後にある。それがどれだけ今の尊さを見る目を鈍らせるか。人の優しさに気づく目を鈍らせるか。*(親との関係が良い人には当てはまらないのかもしれないが)親が自分の中に棲みついてているという不安が私たちにはある。でもこのドラマは、親と自分は違うのだ、あなたはあなただ、と言ってくれた。それに救われる人は多いのではないか。


このドラマを通して、普通に暮らしていても思わぬところで過去の傷が救われることがあることを知りました。「サイコだけど大丈夫」は、救済のドラマでした。


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