種子を撒いて死ぬこと

「神はサイコロを振らない」と言ったアインシュタインは、"科学が未来の全てを予測しうる"と考える時代の最後の科学者だったかもしれない。

量子力学以降、神が平然とサイコロを振るし、未来は予測不能なことが明らかになった。

近現代、科学が膨大な科学者たちの知的労力を投入して、しかもまさに微に入り細に入り科学的事実を明らかにするにつれ、むしろ分からないことの多さ、我々を取り巻く自然の桁違いの複雑さが認識されていく気がする。

自分は科学者たちの努力を否定しないし、むしろ敬意を払う者だが、自然の摂理を無理矢理にでも解き明かそうというのなら、自然を完全に屈服させようというのなら、我々はこれからいくつワクチンを身体に打たなくてはならないのか。
毎日どれだけ薬を飲まなければならないのか。
どれほどの技術を詰め込んで人を即座に轢き殺す車や電車、飛行機といった移動手段から身を守らねばならないのか。
どれほどの計器や計算機や人工知能で自ら作った破滅的な兵器の見張りをしなければならないのか。
あるいはそれらのために出たゴミを片付けつくすのにどれだけの労力が要るのかーー。


あるいは目の前の親しい者を救うために見知らぬ遠い国の者を犠牲にすることに、どのくらい目をつぶらなければならないのか。

それより、生命自体が、いや物質自体がずっとそうしてきたように、永遠になることを拒み、その代わりに自らの種を、良い実を成らせる芽吹きを撒いて未来に受け継がせることのほうがより美しく価値あることではないか。

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