見出し画像

「観光立国」ってのだけは、僕にとって途方もなく理解し難い


建築や伝統や文化や、そして美は他所の人々からはした金を取って開陳するための見世物ではなく、他でもないそこに住む人々のためのものであるはずだ。そこに住む人が"これはこのように美しくならねばならないのだ"と自分たちのために、自分のために、繰り返し手を入れ続けてきたものが文化であり、その土地の美である。
そうでなければあっという間に消費され、たやすく廃れてしまう。

そのようなものは手間がかかりこそすれ、金銭的に割に合うものではない。
しかしながら本当に見るべきもの、見るべき生命を宿したものは金銭では得難い価値を持つ。

京都はもはや観光客であふれてオーバーツーリズムの悪影響が甚だしいというーー僕はもうそんな京都に行く気がしない。かつて京都御所でゆっくりと美しい檜皮葺の屋根を、その展示模型まで食い入るように見つめたような落ち着いた豊かな時間は、もう京都では過ごせないだろう。

ローマもオーバーツーリズムで酷い有様だと聞いて心が痛む。美術館に入るのに予約が必要と聞いてびっくりした。まさかカラヴァッジォの聖パウロ、聖ペテロを礼拝堂の両側に掲げたサントマリア・デル・ポポロも予約が要るのだろうか? あの礼拝堂から動かされることはないであろうあの2点の傑作を、いつか見に行きたいと思っていたのに……。

いったい、先人が繋ぎ続けてきた美をよそ者たちにはした金で切り売りするような真似をして、安部晋三という人とその同調者たちは何がしたかったのだろう?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?