生き残るということ3……芸術家の使命

アレントが『人間の条件』のなかで、人間としてもっとも重要な行為を"政治的な活動"としていることに異論はないと思う。それこそが命を賭けるに値し、また名誉とともに当人の名を歴史に残し、そのことによって命を賭けた当人を慰めうるものだからだ。人間はただ生きるためにだけ生きてはならない、いや、生きることができない。

しかし、"活動"というのはそれだけでは歴史に残らない。それは発言であり、行為であり、その人の姿であり、世界に歴史上にたった一人しかいない唯一のその人そのものだからだ。だからそれをこの世に残すのになんらかのモニュメントが必要になる、絵画が、彫刻が、小説が、歴史的叙述が、詩が、映画が、建築、デザインが必要になる。それが芸術の役割のひとつであるとアレントは述べる。

ホメロスの『イリアス』がトロイア戦争でのアキレウスの激情をうたいあげるのを読むとき、傲岸なアガメムノン王への反発、彼に代わって戦場に出た親友パトロクロスの死、彼を殺したヘクトールへの復讐、といった出来事が感情の大波のように押し寄せてくる。
おそらくはアレキサンドロス大王もまた、若い頃からその詩を聞かされただろう、さらにはアレキサンドロスは自身が他ならぬアキレウスの子孫であるという伝説を信じただろう。アレクサンドロスの激しさは、『イリアス』を通じてアキレウスから受け継いだものに思える。

20世紀初頭の写真家・美術家のマン・レイは、「芸術とはなんの役にも立たないもの」と述べた。だが、それはもちろん自嘲や韜晦の類のものであることに間違いはない。あるいは、芸術のもちうる「激しさ」に、マン・レイは彼らしいやり方で背を向けていたのかもしれない。彼の時代のダダイズムはまるで芸術自体が世界を避けているかのようだった。芸術の自立、芸術が芸術のみの歴史を歩み始めるのはこの頃のことだ。

ホロコーストを生き延びた詩人パウル・ツェランは「アウシュヴィッツ以降、詩を書くとこは野蛮である」と述べた。ナチスが芸術政策にも熱心だったことはよく知られている。政権のもとでレニ・リーフェンシュタールはベルリンオリンピックやナチス党大会の映画を作り、アルベルト・シュペーアは新たなるベルリンの建築計画を立ててヒトラーを喜ばせた。ヒトラーの気に入らない前衛芸術は、退廃芸術としてさらし者にされた。ヒトラーは明らかに"芸術的なもの"によって自らの政治的偉業の証を遺そうとしていた。

ツェランの言う「詩を描くこと」とはおそらく詩だけではなく芸術一般を指す。芸術が死後の栄光を保証するが故に、あらゆる残虐が、科学の進歩とともに現れた残虐が、たとえばホロコーストや原爆投下が、つまり野蛮なことが行われることになってしまったということだろう。ソ連軍がベルリンを包囲しても降伏することを最後まで拒み続けたヒトラーは死後の栄光を夢見たに違いない。「後世は我々に感謝するだろう」、敗戦が濃厚になったとき、ユダヤ人排斥についてそのように述べ、そして自ら命を絶った。
アキレウスもパトロクロスの死の代償に若者たちの犠牲を要求したが、それはせいぜい10人といったところで、500万人を殺したホロコーストとは比ぶべくもない。

20世紀の芸術が、とりわけ現代美術や現代音楽が、政治や歴史とは距離を置いたのも(置いて見えたのも)、あるいはそのような理由からかもしれない。たとえば戦後にまず現代美術界を風靡したのは抽象表現主義だった。そこには抽象的な色彩以外には何も描いていないか、あるいはウィレム・デ=クーニングのように女性の裸らしいものが描いてあるだけだ。
その後さらに70年代はミニマリズムやコンセプチュアルアートなどのように、物語性を排したアートの時代になっていく。

ただ、80年代から物語主題の絵画が復権し始めた。新表現主義、ニューペインティング、などと呼ばれ、アメリカのジュリアン・シュナーベル、ドイツのアンゼルム・キーファー、イタリアのフランチェスコ・クレメンテなどが有名だ。その当時はそこに描かれた表現主義的な主題に危険性を感じる批評家も多かった。キーファーなどは、初期の写真作品でナチス式の敬礼をした自身のポートレイトを発表していて物議を醸していた。

やがて90年代、2000年代、そして現在に至ると、もはや現代アートの世界において物語的な作品、歴史を扱った作品、政治を扱った作品は珍しくもなくなる。もっともこれはあくまで「現代アート」というずいぶん特殊な美術ジャンルでの話であって、それ以外の美術の世界でどうなのかは僕は知らない。

あるいは一方に写真という芸術があり、それはさまざまなものを映し出し、歴史に残してきた。かつて、ローマ時代の博物誌家プリニウスは、ある女性が戦場に赴く夫の影をなぞり、夫を偲ぶよすがとしたという説話をもって絵画の起源となしたが、それはむしろ写真の起源というにふさわしい。写真は記録としては見た目ほどには正確ではないにも関わらず、失われるもののよすがとしては大きな役割を果たしてきたのだ。

今一度芸術家の役割に、それも今日の芸術家の使命について考えてみたい。現在、"世界"はそこに命を賭け、死んでいく者たちを記憶する力を弱めているように思う。それは他ならぬ芸術の力を借りなければならないものだが、芸術の方が"世界"の側を向くことをやめてしまった。たとえば悲劇の跡地には追悼のモニュメントがつきものだし、悲劇を記録する物語や映画がつきものだが、そういったものだけでは十分ではない。この世界を"世界"たらしめるには、この世界で命を落とす幾多の人々を死にゆく生に駆り立て、かつそれを慰めるには、それになんらかの美しい形を与えなければならず、それは芸術によってなされなければならない。
いや、そういうものこそ広義の芸術というものだろう。

そのとき、それが完全な事実であるかはそれほど重要ではない。芸術はかならず嘘をつくのだから、完全な事実とはなりようがないとも言える。それでも、その出来事に形を与え、残し続けるには、芸術の力が要る……いや、芸術にはその力がある。

歴史の続く限り悲劇は止むことがない。今また新たな悲劇の起こるのを目にするとき、人類に安住の時代は訪れないのか、とも感じる。
にもかかわらず、芸術によってそれを残し続けることで、人々は悲劇を救済し、それにより人類は生き残ってきた。
芸術は常に"世界"の悲劇に形を与え救い続けなければならない。




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