僕は、自分が自由を愛し、人に支配されたくない、ということに気づいた

僕が、ヒトラーについてもっとも嫌悪する点は、アウシュヴィッツではない。それに先立つ障害者の"安楽死"でもないーーASDである自分がそこにいたらアスペルガー博士の診断により自分は安楽死させられていたのだろうか?

1921年7月、ヒトラーがナチスの臨時党大会で第一委員長に就任し、ヒトラーの手による新たな党規約が承認され、それによってヒトラーがナチ党の独裁権を握ったこと。
それこそが、僕がもっとも嫌悪するものだ。

いったい、ひとりの人間が他の人々を支配するなどということほど、吐き気がすることがあるだろうか?
自分は自分の周りのいかなる人をも支配したくないし、しないように気をつけているーー無意識の支配だってあるのだから。

しかし、ある個人があるグループを独裁して支配し、あまつさえそれを他者にも要求するなどという、そんな異常なことがあっていいのだろうか? ヒトラーが独裁を始めたのはよく知られた1933年の首相就任からではなく、この1921年からと言った方がよい気がする。

少なくともその頃からナチ党内部で自由な意志というものが踏み躙られ、みなが第一委員長への服従を余儀なくされた。それまでは、少なくとも多数決原則があったのだーー。

自分の意志を曲げてまで、他人に服従することーーそれは僕の人生のなかでたびたびあったことで、そのたびに自分は深く傷ついた。

"彼ら"は僕の助言に耳を貸さず、彼らは僕を信用していないと平気で言い、僕を役立たずだと言い、彼らは僕に命令してとてもイヤなことをさせる。彼らは僕を罵る。
彼らに理由などない、彼らは反抗的な僕が生意気なので、ただ服従を求めていただけなのだ。
そして僕の目の奥に決して服従しない光を見つけて、それを理由もなく屈服させようとするーー彼らは具体的な理由を言うことが常にできない。なぜならば、自分の目的がただただ目の前の生意気な小男を屈服させたいだけであることを、彼ら自身内心では気づいているからだ。

彼らただ屈服し、他人を屈服させようとする卑怯者たちがこの世には意外なほど多くいて、彼らは「なんとなく自分より下」な人間を当然の形として支配しようとする。そしてそれをときには「上下関係」などと言って正当化しようとするーー。

自分にはそれがずっと理解できなかった。ずっと嫌悪してきた。
ヒトラーのナチスの時代にドイツに自分がいたならば、たぶんすぐに殺されていただろう。なぜならば、自分は自由を愛し、服従することに対する嫌悪を隠すことができないからだ。



参考文献:
石田勇治『ヒトラーとナチ・ドイツ』のKindle版10%あたり

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