従軍慰安婦問題の難しさ……朴裕河『帝国の慰安婦』

従軍慰安婦問題について興味がわいて、数年前に話題になった朴裕河『帝国の慰安婦』(朝日新聞出版、2014年)を読んだ。
韓国で過熱しすぎてしまっている第二次世界大戦時の日本軍による従軍慰安婦問題について批判的に論じている内容だ。従軍慰安婦が、戦後数十年してから改めて悲劇として取り上げられ、そして日本によるアジア女性基金の挫折、韓国で挺対協が主導する補償を求める運動の迷走などを紹介しながら、この問題の本質について迫ろうとしている。問題の本質というのは、植民地支配や、男性による女性の支配の構造だ。

本書を読む限り、よく争点になる「日本軍による慰安婦の強制連行」はなかったのだと思う。少なくとも組織的にはなされていない。
では何があったのかというと、戦時中の兵士の需要を満たすため、軍が慰安所の設置と多数の売春婦を要請し、それに応えた日本、朝鮮の民間業者(いわゆる女衒というやつだろう)が、なかば騙すようにして貧しい女性たちをスカウトしていった、というのが実情らしい。

植民地の悲しさで、朝鮮人は日本人より社会的に下位に置かれた。これは日本軍内の朝鮮人兵士もおなじだっただろう。社会的地位も低く、当然、相対的に貧しかった。必然的に慰安婦に取られる女性は多かった。これは、現代の風俗産業まで続く社会的な問題であるように思う。さらに言うなら女衒のような賤業につかざるをえなかった男たちもいたかもしれない、というのはうがち過ぎだろうか。朴は一貫して、「業者には罪があった」としている。直接に慰安婦たちを搾取したのはむしろ業者たちで、彼女たちを騙すようにしてスカウトしたのも、慰安所を経営して売り上げをピンハネするのも彼らである。

なかには朝鮮人集落の村長が、やむを得ず貧しい家の娘を業者に紹介した、という逸話もあった。もちろん、行政や軍から強制とまでいかずともそういった「要請」があったはずであり、それに逆らえなかったのだろう。貧しい女性が口減らしと金稼ぎのために売られるようにして遠方で売春婦となる、という構図に、朴は日本の「からゆきさん」からの連続を見ている。

従軍慰安婦なるものが果たして必要であったのかも含め、やはり制度的にそういうものがあったということは、批判的に考えなければならないと思う。つまり、仮に今後戦争が起こったとして慰安所のようなものはあってはならない。

と同時にこの問題について「責任をとる」ということがいかに難しいか考えさせられた。なぜなら、ことは単純でなく、まず日本人の慰安婦ももちろん少なからずいた。さらに占領地の東南アジア人、オランダ人もいた。
そして日本と朝鮮のことを考えるなら、まず植民地関係にあったということがあるし、さらに現在では北朝鮮と韓国に分かれている。被害者は北朝鮮にもいるはずだが、彼女らへの補償はどうするのか?
付け加えると「売春」という職業を恥ずべき経歴と捉え、口をつぐんでしまった方も多くいるはずだ。声もなく知られることなく生き続ける、もしくは亡くなってしまった、その方たちはどうすればいいだろうか?

いずれにしても言えることは、日本国はこのことに対して責任はあった、ということ、そしてそれは構造的に弱者が悲惨な目に遭わせられることになった、ということに対しての責任である、ということだと思う。もっとも責任をそのようなかたちにしてしまうと、戦時中、ほかにもさまざまな悲惨があったわけだから、それらと並列するしかないということになるが……。

本書を読むとこの問題はあまりに複雑すぎて、国家的責任を問う、という観点が果たして相応しいのか、疑問が残る。少なくとも「法的な責任」を問うのは難しいだろうと朴は述べ、法的な手段をかいくぐるようにして日本が提示してきたアジア女性基金のような補償を評価する。国家賠償ではなく、「民間の募金」のかたちを取り政府が多額の寄付をすることで実質的に補償をしようとしたものだが、韓国の慰安婦の多くが受け取りを拒むなど、補償活動は難航し、やがて解散した。


この問題は、むしろ、将来に向けてこのような悲劇を正しくきちんと記憶する、ということが必要であるだろう。戦争という異常な状況下で、兵士を家族的日常に触れさせるため、慰安所が日本の占領地の各所に作られ、慰安婦が性的サービスを提供したこと。慰安婦は貧しい家の女性が仕方なく就いたり、騙されたりして就いた場合が多かったこと。なかば強制的に連れてこられた例もあった。もちろん、強姦もあった。

今そういうものがあるのであれば、それは考え直されなければならない。からゆきさんと従軍慰安婦を繋げた朴の視点は、さらに戦後に目を向ける。日本を占領した米兵に、身を捧げるかのように提供された売春婦たち、暴行を受けた女性たち。韓国でももちろん同様のことがあり、朝鮮戦争を経て、駐留米軍による婦女暴行に悩まされる、周辺に慰安所のような施設を作らざるを得ない、などの話は、日本の僕には沖縄の話を聞かされているときような苦しさがある。さらにはベトナム戦争など、韓国人自身が加害者となってしまったケースもある。

しかし、結果的にこのような朴の論理展開は、慰安婦問題をほかの多くの戦争の悲劇と等価に並べ、相対化してしまう。戦争中に強者に弱者が蹂躙される、つまり宗主国に植民地が、男性に女性が踏み躙られる、「日本軍による従軍慰安婦」が、現代まで続くそれら多くの悲劇のひとつとされてしまう。「あのころはみんな苦しんだ、死んだ人だっていっぱいた」「今も米兵に苦しめられている人がいっぱいいる」と言われてしまう。そのようなことに、元慰安婦の方々や、支援者たちは耐えられるだろうか? たぶん耐えられない。だから彼女らは頑なにならなければならないのだと想像した。

繰り返しになるが、だからこそ記憶することが必要なのだ。それも、慰安婦がいかに悲劇だったかを記憶するのではない。慰安婦たちが「どのようにあったのか」をひとりひとりできうる限り正しく伝えるべきだ。家が貧しくて売られるように慰安婦にされた、稼げる仕事と業者に騙された、日本軍兵士と恋愛関係になった、せっかく稼いでもピンハネされる、1日に何人相手させられた、戦後軍票は無駄になった……。そういった、あった出来事の細部を、彼女たちのひとりひとりの人生の一部であったその物語を。

なぜならば、そうすればそれらはひとつひとつがほかと決して相対化しえない、交換できない、比較できない、唯一の人生の物語になるからである。そうして唯一の存在として記憶されることこそが、悲劇を陳腐化させないための方法なのだと思う。




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