2019/12/15(日)【日記】「負けん気」礼賛「負け犬」退散。「おまえら全員ぶっ潰す!」がモチベーションでもいいじゃない。
通院と服薬と養生の成果が出ているのか、風邪はだんだんよくなってきた。
喉は痛いわ咳は出るわでまだまだ「コンチクショー」という感じなのだが、それ以外は心身ともにおおむね元気である。
なにより「負けん気」が湧いてきたのがいい。
友人に、お父さんが広島県ではちょっと名のしれた会社の社長をやっていたという人がいるのだが、その人が「能力はさておき、社長になるような人はとにかくみんな負けん気が強い」と言っていたことを思い出した。
負けん気。
今の時代に忘れられかけているものだ。
長い不況がそうさせたのか、日本のインターネットには「負けん気」の正反対である「負け犬根性」が蔓延している。
「ちくしょうめ! 今に見てろよ! 絶対にぶっ倒してやるからな!」
といった、乱暴ながらも上昇志向むきだしの言葉よりも、
「どうせ……」「ほれみたことか」「ざまあみろ!」
こういう言葉があふれている。
ぼくもネットにどっぷり浸かって久しいが、
「すねる」「ねたむ」「ひがむ」「いじける」
これらほど、自他をむしばむ害悪はないという結論に達した。
あらを探し、重箱の隅をつつき、足を引っ張る。
自分が這い上がることより他人を引きずり下ろすことを喜ぶ。
SNS社会には「うまいことを言えるヤツほどバズれる」というある種のゲーム性があるが、この「うまいこと」の中には上記の害悪を言語化したものも含まれる。
それゆえ「負け犬根性をうまいこと言語化し、負け犬化した大衆の負の感情を煽ることができる能力があるやつほどバズって成り上がれる」という、まるで「公害を垂れ流そうが儲けられればそれで勝ち」という戦後高度成長期の暗部を彷彿とさせる不具合が発生しまくっている。
害悪を垂れ流して成り上がれる才能がある側はそれでいいのかもしれないが、そんなものを持ち合わせていない中途半端な大衆にとって「負け犬根性」は公害における水銀やカドミウムのように人生をむしばんでいく恐るべき有害物質だ。
……と、いろいろえらそうなことを書いてきたが、かくいうぼくも「負け犬根性」に侵され続けてきた側の人間だ。
自分より上にいる人たちが楽しそうにやっているのを見るたびに、妬ましさやら承認欲求やらに身を焦がし「おれもあっち側に行きたい! チヤホヤされている同士でキャッキャウフフしたい!」と身悶えする。
だが、上にいる人たちというのはそれぞれ何かを成したからこそ上にいるわけで、何もしていないのに上に行けるなんてそんな虫のいい話はない。
上に行きたかったら自分も何かを成せばいい。
そんなことはわかっている。わかりきっている。百も承知だ。
だが、できない! なにをしたらいいのかがわからない! なにができるのかがわからない! どこに行けばいいのかがわからない!
なにより……失敗したくない!
成功できる気がしないのに、努力も、苦労も、できる気がしない!
正気の人から見れば虫けらのような煩悶だが、方向を見失っている状態で何かを成そうというモチベーションを発揮するのはなかなか難しい。矢沢永吉さんの著書「成りあがり」にも「方向を見失った時、人間はいちばん苦しい」と書いてある。
そんな感じでくすぶり続け、まもなく今年も終わろうかという時期になってしまったが、ようやく、心に小さな火がともった感がある。
ああ、待っていた。
火よ、ずっとおまえを待っていた。
上に行きたいけど何をしていいかわからない? モチベーションがない?
「ぶっ潰す!」
「おまえら全員、ぶっ潰す!」
それでいいじゃん。いいじゃんいいじゃん。
……あらあら、なんだか中学生の作文みたいになってしまったわね。うふふ。
まぁ、いいじゃんいいじゃん。それでいいじゃん。
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