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「頑張らない」引き出しを創る生き方

私にとって、「頑張る」はもはや、標準装備だ。
頑張れば、努力すれば、耐えれば、何かを手に入れることができたし、
それが、世の中の当たり前、普通、そんな風に思っていた。

できなければ、自分の努力が足りない、能力が足りないとさえ思っていた。
だから、出来るように頑張る、そうすればいつか認められる。
だから、「頑張る」の引き出しは常に開かれていた。

でも、ある日、積み重ねてきた疲労と、頑張るためのエンジンをふかすために何度もアクセルを踏み、ガス欠になり、「ぷつん」と糸が切れた。
そう、「頑張りすぎた」ようだ。

これまで、頑張りすぎないを意識していたが、自分にとって、
頑張ると頑張りすぎの基準が曖昧でよく分かっていないことに気づいた。
そして、そもそも、この標準装備の「頑張る」ことが自分の生き方にとって正解なのだろうか・・・と疑問を持つようになった。

頑張ることが、普通。そうでないといけない。頑張らないことは、むしろ
「怠けている」とさえ思って生きてきた。
でも、頑張らないことは決して怠慢ではないし、その余白から生まれる発想やエネルギーもある。
ふと手綱を緩めて、「頑張らない」それでも物事は進むし、そんな生き方もあってよいのではないか。

時として頑張らないとならない場面もある。
でも、これからは、「頑張る引き出し」と「頑張らない引き出し」
両方を標準装備として、必要に応じて、引き出しを使い分けていきたい。
頑張る自分も頑張らない自分もまるごと受け止めていきたい。



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